わたし(たち)がジュリエット(たち)だったころ

marginalism2018-10-03

 いつもより一際強い緊張感と共に9月14日にNoism1×SPAC 劇的舞踊vol.4『ROMEO&JULIETS』埼玉公演(http://noism.jp/npe/n1_spac_romeo_juliets_saitama/)行ってまいりました。この曲は人生で一番聴いたクラシック音楽というか、人生で一番聴いて演奏した音楽です。演奏している期間の終わり頃には、自分が演奏家として長くないと気づき、最後まで心身が持つか引退までの期間を逆算するようになった曲でもあります。心身の限界を超えて頑張りぬいたのが正解だったのかどうか今でも良くわかりませんが、そうしなければ生きて来られなかったのは確かです。クラシックバレエロミオとジュリエットを観る時は、音楽の特定の箇所で手首と顎の古傷が痛むくらいで済むのですけど、今回はNoismですから何が起こるのかわからないというか、何も起こらなかったらどうしようということを心配しました。これだけ強く生きた曲を、生き抜いた曲を使って腑抜けた世界観が描かれていたらどうしようと恐れました。わたしは、ジュリエットとしてのわたしは成仏しているのだろうか、いや成仏っておかしいんだけどそういうほかない感覚をもって幕が上がるのを待ちました。

 その頃の私のささやかな夢はバレエの伴奏をすることでした。バレエ音楽を演奏しているのに自分たちが主役になっているのが解せませんでした。バレエのための音楽なのだから、バレエのために演奏したいと思っていました。結局想像で踊らせている人がいて、密かにその人のために演奏するしかありませんでした。私がジュリエットなのではなくて、踊るひとがジュリエットなんだと、自分の中で区分けしていたように思うのです。いつも悪目立ちする自分を持て余して、ひっそりとした伴奏者になりたいと願っていました。

 幕が上がると、よく知っているフレーズが飛び込んできました。それと同時に踊るひとが登場しました。踊るひとは私でした。踊るひとと音楽が一緒にわたしでした。一気にないはずのオーケストラボックスに、いるはずのない舞台にわたしは引き上げられました。

 そこからは冷静に観客席に座っていられないのです。観客席に座っている肉体の私はいるのですけど、意識は舞台のあちら側にいるのです。舞台がわたしなのです。舞台のわたしの中でジュリエットたちが踊っているのです。目の前で展開している踊りと人生で一番濃厚にこの曲と過ごした時代が混沌としているのです。舞台が進むのと共にあの1年を追体験しているのです。そこにわたしの意志はなく、ひたすら流れに身を任せるしかないのです。

 わたしはあの頃のわたしを初めて客席から見ています。そして、あの頃のわたしを切なく、愛おしく思います。なぜ自分が言葉を、声を持たないパフォーマーに魅かれるのかやっとわかります。楽器の演奏というのは、言葉や声に頼らず全て自分が出す音で表現するしかないからです。ピアノ教室で場面緘黙になっているわたしは声を出せずに踊るしかないジュリエットです。親はピアノ教師をしがない田舎の教育大出風情が、という扱いをしますし、ピアノ教師はそんな親を憐れみます。親とピアノ教師の関係は、私とわたしのまったく違う顔しか見ていないのでどんどん悪くなっていきましたが、自分でもなぜそうなるのか理由がわからないのでどうにもできなかった、あの頃のわたしが踊っています。
 楽器を手にしていない時の私はよく喋っていました。クラリネットを吹くときのわたしは物理的に喋れませんでした。ピアノ教室には入った途端、理由もわからず心理的に喋れませんでした。舞台が丸ごとわたしでした。練習場の隅っこで白水Uブックスの「ロミオとジュリエット」を読んでいるわたしがいました。ほかのジュリエットがソロに差し掛かると心の中で「頑張れ」とエールを送るわたしがいました。毎日のように追加・修正されるロメジュリスコアを授業中に必死に写譜してパート譜を練習までに間に合わせるわたしがいました。やってもやっても宿題が終わらなくて夜中に窓を開けてぼんやりしているわたしがいました。眼下に広がる夜景のわたしがいました。寝不足で全校朝礼中に立ちくらみを起こすわたしがいました。お前は弁論部か、と言いたいくらいディベートで立て板に水で相手を論破する私もいました。

 山岸凉子先生がBSの番組でキエフを再訪し「アラベスク」の登場人物のモデルになったプリマと再会する、という番組を見たことがあります。その時、すでに引退してバレエ学校の校長となった元プリマが劇場の上に立って、そこからの風景を見渡すというシーンがありました。山岸凉子先生は膨大な感情が押し寄せているだろう隣人に何も声をかけられず、「私にはわかりませんが、わかった気になっちゃいけないんです」というようなことをおっしゃっていました。彼女の厳粛さに打たれた私も山岸凉子先生と同じような姿勢を取り、保つように心がけました。

 今なら彼女がそこから何を見たのかわかります。でもそれは、やっぱり簡単に説明できるようなことではなくて、説明とは違う位相の表現によって描き出すしかないのです。
 ジュリエットだったわたしは成仏したのかもしれませんが、かつてわたしがジュリエットだったことは変えようがないのです。