権威の失墜
天皇賞・春なんてもう距離縮めちゃえばいいじゃないですか。いいよそっちがその気なら3000M越えのレース全廃させてしまえばいいじゃないですか。
春の天皇賞はとびきり思い入れの深いレースで。私は「天皇賞馬が好き」じゃないんです、「ステイヤーが好き」なんです。いや、だったんです。今のJRAにはステイヤーなど生きる余地はない。今の競馬事情に合わないなら、ステイヤーが活躍できるような距離は全て無くしてしまえばいい。そうしたら私は思い出の名勝負の中に落ち着いて出しゃばらないで生きてゆきますから。
レースには格ってもんがあるんですよ。今の状況で3200Mをこなせる馬には天皇賞馬と呼べる格はないし、秋はともかく春を獲ったって生産現場では重宝されないでしょう。
私の春天はこんな格じゃないんだ。こんなちんたら続けるんだったら秋に統合してしまうか、距離を2400~2500あたりのグランプリ仕様にしちゃえばいいじゃん。
別物にしてしまうことがJRAと私のお互いの利益と幸福だ。
それで、夜、見るものがないのでザッピングをしていたら、たまたまベルリン・フィルのジルベスターコンサートを放送していたので少しだけ見ました。
きちんと見た(聴いた)のはカラヤン時代以来です。
私はカラヤンが嫌い*1で、この人がいるからクラシックがつまらないんだと思っていて、ベルリン・フィルはその手先だと思っていたので好きなオケではありませんでした。
が、サイモン・ラトルのベルリン・フィルは、私の知らないベルリン・フィルだった。カラヤン時代に聴いたことのないような柔らかい音色を出していて、これがあのベルリン・フィルなのか?と何度も疑いました。
バーンスタインが死んだ時には心の支えをいきなりもがれた気分になりましたが、カラヤンが死んだ時は拍子抜けしました。絶対的な権威が、仮想敵として憎んでいた絶対的な存在でも、死なれると困るものだなあ、と確か思ったはずです。
大嫌いだったはずのベルリン・フィルが知らない顔をしてそこにいて、それなりにいいオケだなあと思ったりして、大嫌いだった頃が懐かしくなったりして。全部昔の話かあ、なんて。
そういうことが天皇賞・春にも起こればいいなあと思った。