はかなくて過ぎにし方を思ふにも
私がNoismや金森穣を追い続けている一つの理由はモーリス・ベジャールです。TV放送でたまたま初めて見かけた時に、その作品を作った人が教え子だとは知らなかったのですがベジャールを思い出しました。気になって調べたらルードラ出身者とわかり納得しました。ベジャールの精神を受け継いで咀嚼しつつ、そしてまたベジャールのエピゴーネンにはなり得ない極東の島国育ちの感性も見出し、この人これからどうなるんだろうと目が離せなくなりました。西洋と東洋の違いもありますけど、「愛や包摂」が勝る表現する人と「孤独や分断」が勝る表現する人という違いがあるのに、それが生まれる場所自体は同じところに見えるのも面白くて。
金森穣に対していつもここで色々書いてますけども、同時代で同世代を生きる芸術家としては最も注目していますし、間違いなく尊敬しています。
なので、東京文化会館で、恩師への想いを胸に創作した作品の公演があるなら行かないという選択肢はないでしょう、とNoism1特別公演『Mirroring Memories―それは尊き光のごとく』初日に駆けつけました。
http://noism.jp/npe/noism1_ueno_balletholiday2018_mm/
https://balletholiday.com/2018/news/noism1mirroring-memories.html
東京文化会館の小ホールって残響の評判は各所から聞いていて、このクラスのピアニストが大ホールじゃなくて小ホール?と思うような公演をたまに見かけてもいて(気になるからその度にチケット争奪戦に参戦するも全敗)、まさか音楽ではなくNoismの公演で東京文化会館小ホール初体験とは思ってもみなかったのですけど、足を踏み入れて一呼吸すると、あえての小ホール公演の意味がわかりました。柔らかい残響に長く包まれる感覚が確かに独特。もともと音響考えずに設計されたと聞いているのにこれは確かに奇跡。でも、音響よすぎて隣の人の鼻息がすごく聞こえて辛かった、音楽公演じゃないからこそあんまり注意もできなくて集中しにくくて辛かった。
とにもかくにも、あのような神秘的な場所でお披露目されるのが必然であるように思えた文字通り特別な公演でした。
金森穣本人も「東京文化、ベジャール…」と思ったみたいなんですけど、というより私たちがその深く痛切で濃厚な思い入れのおこぼれを頂戴しているだけなんですけども、結局その言葉に収斂されてゆくプリズムがひたすら尊かったです。金森穣が昨今のBBLダンサーよりよっぽどベジャールダンサーとして登場して、ベジャール作品で見かけたような衣装で恩師に踊りを、祈りを捧げている姿を目の当たりにしているだけで、あとからあとから込み上げてくるものでいっぱいで、いっぱい過ぎて涙としてあふれ続けるほかなくて、愛と孤独が、モーリス・ベジャールと金森穣が一緒に踊っているようにしか見えなくて、いつも金森穣のダンスは大樹のようだと思ってきたそれはきっと菩提樹なんだな、菩提樹というものは愛に満ち溢れてもいるけど、誰にも、何にも寄りかかれなくて孤独でもあるということなんだと、表裏一体なんだと、金森穣がベジャールの写真を指差した時に多分悟ったんです。
愛と孤独の混沌とした対話の中から、漏れ出る全てがいとおしかった。
ラストの『Träume―それは尊き光のごとく』で示されていたものが、パラレルワールドなのか、それともまだ間に合う未来なのか、カンパニーのメタファーなのか、でもこれは切り分けるより渾然一体のままとしておきたいので受け取った形を崩さないように気をつけていますが、金森穣と井関佐和子がデュオで踊った後*1、手を引かれた浅海侑加に象徴として託された純粋なたましいが、対話の行き着いた先だと思うと、朝顔の露を覗き込むようにずっと見ていた向こうの世界がこちらとつながったように思えて、見ていたはずの露が私からポロポロこぼれて、客席の他の人からも、金森穣からもこぼれて、最初はちらほらだったスタンディングオベーションの数がカーテンコールの回数重ねるたびにさざ波のように増えて、最終的に大波になって皆立ってしまっていたという現場は初めてで、ものすごく感動しました。
あと、ダンサーとしての井本星那に惹きつけられました。彼女のしっとりと翳りのあるたおやかな存在感に目が行って離れなくなってしまう。井関佐和子は薔薇や百合や向日葵のような線のはっきりした強い華を持つんですけど、井本星那は桜やコスモスやネモフィラのように儚く揺れて震えているような華で、油彩画と水彩画のような違いで、それが共存すると微妙な陰影のニュアンスや余韻の色のトーンが深まって出るのでいいなと思います。どちらがいい悪いではなくて、かつてのBBLにエリザベット・ロスがいて、クリスティーヌ・ブランがいた、みたいなことです。今回は『カルメン』より「ミカエラの孤独」を本来カルメンのはずの井関佐和子が踊って、それはドッペルゲンガーとして効果的だったので面白かったんですが、井本星那のミカエラも見てみたいです。
このような演目で金森穣が踊ったパートに「ブラボー!」の声がかかるのは当然とも言えるのですけど、金森穣が登場しない『ASU』より「生贄」のパートが終わった後にもその声が飛んでいたのがなんだかとても嬉しかった、そして私『ZAZA』本当大好きなんだな、ということを書き留めて、こんなまとまらない悪文を締めることにします。
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*1:『Liebestod−愛の死』の振り付けが使われていたような気もしたけど私こういうの覚えるの極端に苦手なので本当のところはわからない