松野頼三死去

ポスト小泉以前に、小泉純一郎の強運がついに尽きてしまいそうな予感。

松野頼三氏死去/元自民党衆院議員
http://www.shikoku-np.co.jp/news/kyodonews.aspx?id=20060510000308
 松野頼三氏(まつの・らいぞう=元自民党衆院議員、元防衛庁長官)10日午後、東京都内の病院で死去、89歳。熊本県出身。自宅は東京都港区白金台2の14の10。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。民主党松野頼久衆院議員は長男。

 歴代首相と太いパイプを持ち「政界の寝業師」の異名を取った。参院議長を務めた父鶴平氏吉田茂元首相の参謀役だった縁で吉田氏の首相秘書官となり、47年には衆院選に挑戦。以来当選15回を重ね、総務長官、労相、防衛庁長官、農相、自民党では政調会長、総務会長を歴任した。

 72年総裁選では、当時の福田派の多数派工作に関与。田中政権発足後は金脈問題で田中角栄氏を揺さぶるなど、福田派の軍師的存在だった。しかし76年の「三木おろし」の際、当時の三木武夫首相を支持し、福田派から離脱した。

 79年のダグラス・グラマン事件では日商岩井から5億円を受け取った疑惑が浮上し議員辞職。同年の衆院選で落選した。80年に無所属で返り咲いた後、自民党に復党したが、90年に再び落選し政界から退いた。

 同じ福田派に所属していた小泉純一郎首相とは、首相就任後も会食したり官邸で度々会談するなど親密で、政界で一匹おおかみ的な存在の首相にとって数少ない「相談役」としても有名だった。

千葉7区が一の谷、次の参院選屋島衆院解散総選挙が壇ノ浦説を一人で補選前から唱えていた私ですが、この時期に小泉純一郎の相談役が亡くなるというのはなんかできすぎだと思った。あとで続き書きます。今はとりいそぎ合掌。