Macと卵巣と三十の私と

やっとネット環境に復活しました。でも、今はまだ ア ッ プ ル ス ト ア と一旦停戦合意を結んだだけですので、完全に決着つくのはまだぽいです。
そんで、パソコンが壊れたり卵巣が腫れ気味で検査したり三十歳になったりでお金なくなっちったから長野のNHK杯行けなくなってもうたよ。ギリギリ切り詰めれば日曜日はいけるかなーと思ってたんだけど、商売道具も使えなかったし体調も悪かったからどうせ仕事できねえやと寝込んでたらスッパリ先立つものがなくなっちゃったよ。
私の10日間戦争は後で書き足すかもしれないけど、きっとほったらかしておくんじゃないかなあ。だってこれから再インストールもしなきゃいけないんだもの。外付けHDなんかも調達した方がいいってみんなから言われてさあ、先立つものがなくなったどころか足が出るかもだよ。私これからどうなるんだろう。まあいつでもどうにかなってきたからどうにかなるような気はするけど、自分とパソコンがへたったらいきなりイエデンもファックスも掃除機も使えなくなってビビった。しかも、さっきパソコンなんとか奪還して帰ってきたらイエデンも復活した。
で、何やってたかってひたすら寝込みながらCDウォークマンでこればっか聴いてました。

弾いてるのがなんかこういう人→http://www.yomiuri.co.jp/book/author/20041129bk17.htm
公式→http://www.helenegrimaud.com/(もしかしたら音が出てる?このPC今唖だからちょっとわからん)
英語も仏語も勉強したのに挫折してさっぱりな人間なので日本のレコード会社のサイトより

http://www.universal-music.co.jp/classics/artist/helene_grimaud/helene_grimaud.html
2006 CONCERT SCHEDULE
2006年10月2日(月) えぬきょうオーチャード定期 第41回定期演奏会 指揮:うらでぃーみる・あしゅけなーじ
東京 Bunkamura オーチャードホール
2006年10月6日(金) えぬきょう 第1579回定期公演/指揮:うらでぃーみる・あしゅけなーじ 東京 えねーちけーホール
2006年10月7日(土) えぬきょう 第1579回定期公演/指揮:うらでぃーみる・あしゅけなーじ 東京 えねーちけーホール

これも行きたかったなー。
えぬきょうとあしゅけなーじは、いらんつうかいなきゃまあ演奏会できないんだけどさ、つうかむしろエレーヌ・グリモーが定演に呼ばれてるだけなんだけどさ、引用してるのに姑息な検索よけやっとるんだけどさ、まあそこらへんは色々読み手が想像力働かしてその意図を汲んでみてよ。そうそう、私、この指揮者でピアニストの人(大ちゃんファンはある意味昨シーズン一番聴いたクラシックの演奏者なんじゃないのかねえ)、昔、上野の文化会館で演奏会あった後に偶然見かけたことがあって、握手してもらってる人達をみてさあ、ああいう人と今後同席することはもうないんだろうなあと思ってたんだけど、今ガッツリ同席、右に竹熊左にああいう人、そんな感じ。この指揮者でピアニストの人別に嫌いじゃないんだけど、私、優等生がどうしても苦手な所があるっていうそういう所をまあ汲んでみてよ。

あとさあ、私のトロイメライ的実存(関連エントリid:marginalism:20060806:1154897689)はイコール、クララ・シューマン的実存なんじゃないかって気付いたよ。
クララ・シューマンとかドビュッシーとかお札の顔になってたじゃん、だからヨーロッパでの音楽家の地位って日本の文芸作家みたいなもんなのかなあ。とぼんやり考えたりしてました。
私さあ、生粋の音楽の人からすると文学的な音楽の聴き方するらしいんですよ。一応長所?としてその昔指摘されたの思い出した。この前、カミーユ・クローデル見に行った時も生粋の美術の人からそれは文学的な見方、みたいなこと言われてさあ、文学的ってどういうことかよくわからないけど、文学とは何か、なんて考えてそれを文章にできるんなら私は評論家目指してただろうから、私は文学的な人間だということにしておきます。指摘した人達もきっとそういうのうまく説明できなくてフィーリングで言ってるだけだろうし、そういう人と一緒の方が楽な自分もいるんで。

久々にパソコン触ってネット繋がったらやっぱり文章書くのって楽しいんだわ。というか、私は書く行為自体が楽しいんじゃなくて文章を書くことによって誰かとコミュニケートできることがとにかく楽しいんだわ。だから、純粋に書くのが好きだという訳じゃないのかもしれないけど、自分の居場所は文学の中にあるとやっぱり痛切に思ったわ。誰かに手紙を書くような、とはずがたりのような、こういうのも楽しいけど、やっぱり文学なんだと思うよ。一次的な欲求じゃないから、純粋に楽しいとは言えないと思ってたけど、そういうことでもないんじゃないかなと。

クララ・シューマンについてはもうちょっとまとまったらきちんと書いてみたいです。今でも泣きそうになる、あの感覚を思い出したら。あんなの12年振りくらい?松浦理英子を初めて読んだ時みたいだったけど、でもちょっと違うんだよねえ。その違いが自分でまだよくわかってないから、わかったら書きます。