虚無が底を打った顔

判決が出た直後の堀江さんを報道ステーションで見てたんですけども、常々気になっていた「この人の原動力ってなんなのだろう?」というのがわかった。堀江さんはルサンチマンをまき散らしてあそこまでのし上がってそしてはしご外されて日本中に半べそ顔を晒す羽目になったんだなと。
堀江さんについて「想像力がない」と評していた人が複数いましたが、想像力なんてあったらこの人今まで生きてこれたのかなあ、とも印象的な半べそ顔を見て思いました。彼はある地点で想像力を捨てなければ自殺していた可能性高かったのじゃないかと。そして、自殺するくらいなら復讐を先に、と考えた人なのじゃないかと。ほんの少しつついただけで全てが崩壊するような繊細な雰囲気をまとっていた報道ステーションでの堀江さんを見ていたら「想像力を持て」という言葉は残酷だと思った。元来の堀江さんはものすごく繊細な人なのだろうとも思った。
繊細で頭の良い人が想像力を持つというのは危険なことでもある。私、てっきり堀江さんは東京大学の経済学部出身だと思って友達と話をしていたら彼は文学部宗教学科だと訂正されてびっくりしたんだけど*1、判決後の顔見てたら得心した。宗教や哲学を徹底追究していた人が反転して現世利益の追求に走ることはよくある話。想像力を封印して頭の良さだけをいかして現世利益を追求するプログラミングを自動的に走らせていくと大概行き着く先はこういうことになるというのもまたよくある話。

いじめられっ子がいじめっ子になったのだけれども、やっぱりいじめられっ子に舞い戻ってしまったのが今の彼の段階で、彼を突き動かしていたのは被害者意識ですから、彼にとっては東京地裁の判決の厳しさは「いじめ」だという感覚しかないのでしょう。

私は堀江貴文さんに肯定的でも否定的でもなくて、ただ、彼が勢いにのればのるほど彼の虚無が引き立っていたものですから、なんでこの人はこんなにも頑丈な虚無を抱えているのだろう、とただそれだけがずっと大変に気になっていたのです。その正体がわからなければこの人物に対する評価はできないと思っていたのです。

被害者意識というものは厄介ですけど、日本中に半べそ顔を晒すという屈辱的なドキュメントを見ている間、私は初めて堀江さんの目から感情を読み取ることができて、彼がそこに浮き上がった感情を受け入れることができるのなら、最終的には執行猶予付きの判決で手を打てるかなと思いました。彼の心の奥底を見ることができた今、私は彼が被害者意識から解放されたらいいなと思うし、それができる人だと思うし、憎しみを力にして生みだすものはやっぱりろくでもないものでしかないな、『憎まれっ子世にはばかる』とうそぶくのはやめた方がいいな、とも思った。

どうせ最高裁までは行くのだろうから結審まではまだまだ時間がある。虚無に支配されていた『ホリエモン』を見るのは趣味じゃなかったけど、ここからは私好みの展開が起こる可能性が半々くらいなので注意深く見守っていきたいと思う。そして、所在も自信も無くて不安でたまらなくて泣きそうになっている少年の心が浮き出ていた彼の顔をしっかり覚えておこうと思う。

*1:これ一審判決の前日のやりとり