それぞれの三十路

marginalism2007-05-28

これも土曜日の話。
友達がバースデーパーチーをフォーシーズンズ丸の内のスイートを貸し切ってやるというから、しょぼくれた庶民の私はセレブリティというのはどういうことをやっているのかという好奇心だけで乗り込んでみました。好奇心は猫をも殺すと言いますけど、友達が飼っている猫がいたので遊んでもらいました。私の好奇心は猫の手足にからめとられ遊ばれました。満足です。
そこの窓から見えた風景は主に東京駅で眼下には新幹線や在来線が沢山入ってきたり出て行ったりしていたのだけど、「ロスト・イン・トランスレーション」でパークハイアットのスイートルームの窓から主人公が見ていた新宿の風景を思い出してしまいました。ああやっぱりこういう気分だったのだろうな、と映画を見て想像した感覚を実際に体験しました。一瞬ゾワっとくる感覚があった。
まだ主人公がトーキョーと心が通わなかったあたりの、一人残された部屋で異国の言葉に取り囲まれて孤独感を募らせていく時の感覚は知っていました。そういう時に彼女が母語で書かれた本を読んでいた感覚も私は知っていました。母語に触れないことにはとにかくおかしくなってしまいそうだった。だからこの映画を見てまずそのシーンで泣いた。パリにいるのにホームステイ先にもフランス語にもなじめなくて一人でせっせと「富士日記」を読んでいた時のことを思い出して。
でも、パリの景色のどんくささはけっこう好きで、トーキョーの空虚な感じはあの国のどこにもなかったと思う。高級シティホテルのスイートルームから見るトーキョーの景色のあまりの空虚さにゾッとした。

ロスト・イン・トランスレーション [DVD]

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身も蓋もなくいやらしいことを言うと、私は「孤独でセンシティヴなインテリ女」の話が好きで、自分をそのタイプに重ね合わせていて、年収なんかで分類されるとまぎれもなく「下流」とか「ワーキングプア」的な扱いされそうなのに、妙に浮世離れした人間として扱われているからあまりそういう言葉に絡めとられなく、むしろ「しょぼくれた庶民」というより「高等遊民(もしくはラ・ボエームボヘミアン)」という概念の方で自分も他人も解釈しているのだろうな、というのが身に染みて、スノッブには完全には馴染めないと思っていても帝大出の友達とペダンティックな会話を楽しむことに本領を発揮する人間なのだから五十歩百歩なんだよなと。実際はインテリといえるほどの学はないのですけど、本当のインテリじゃないから学をもっているように見せたい浅はかさが私からはにじみ出ていて本当にいやらしい。
そんなことを思いながら東京駅から東大和市駅まで1時間弱電車に揺られて試合会場に着いたのでありました。そして、そこで山口瞳草競馬をこよなく愛していた気持ちがわかるわ!と想像していた感覚を(ry
草競馬流浪記 (新潮文庫)

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