本質はディテールに宿る

広島から友達が上京してきたので久しぶりに会ったよ。広島と長崎の間にも温度差ってあるんだね、と前に夜中に見ていたドキュメンタリーのことを絡めて話していたら「怒りの広島、祈りの長崎ってよく言うから」と私にとっては初耳で新鮮な言葉を友達が何の衒いもなくさらっと口から出したので、その土地に根付いたものって相当なんだろうなって未だにあるんだなって感じて、でもそのことについて語る友人の自然さに衝撃を受けました。
歴史のいきがかり上たまたま世界的に有名になってしまった土地に根ざして生きてきた人のバックボーンってその何気ない一言で伝わってきたから、私にとっては主に書物かテレビでしか触れることがない非日常のものについて日常的に触れている人の持つ説得力って馬鹿に出来ないなと改めて思った。
その後、別件で奈良出身の人と話していて、時期が時期だから河瀬直美作品について語っていたんですけども、日本の里山の風景というか日本の原風景と呼ばれるものがあそこにあるんだろうけども(「楢山節考」的な雰囲気がどことなく漂っていることも含めて)、私はどうもある種の映画や音楽に触れた時に東京がトーキョーになってしまうように、彼女が舞台にする土地を映像で目にすると日本がニッポンになってしまってちょっとした外人目線に切り替わってしまうのです。日本海側とか海なし県が舞台だと私にはわからないニッポンが描かれていることが多い気がする。でもやっぱり奈良出身の人が見ると彼女の映画はあまりにも奈良であってその人の原風景がそこに当たり前にありすぎるらしいのだなあ。
関係ないですけど河瀬直美監督は武田奈也選手に笑い方がどことなく似ていますよね。
そして私は河瀬直美の映画馬鹿一代っぷりが大好きです。自分の出産中にカメラまわすくらい映画狂であるのは素晴らしい姿勢だと思うし、見習うべき姿勢であると思っています。
話はまたちょっと変わるのですけど、この前NHKハンセン病患者であったがために無理やり中絶させられた女性を追ったドキュメンタリーを見たのですけど、主にインタビューを受けていた部屋(多分療養所内で与えられた彼女の生活スペースの居間)の奥の方に「冬のソナタ」のポスターがあって、私は冬ソナ現象というものを鼻でせせら笑っていたのですけど、多分彼女の人生は冬ソナのストーリーと同じ程度かそれどころじゃないドラマチックなものであったのだろうなと思ったら、途端に「冬のソナタ」に重みを感じてしまって、やっぱりそういった生活の場によく馴染んでいるものによって説得力が増していたというかむしろ彼女がどういう思いで「冬のソナタ」を見ていたのだろうか、と想像したらちょっと泣けて、彼女の存在によって冬ソナ現象すら肯定できてしまえました。ありえねえよ、と思っていたストーリーにある意味リアリティを与えられる存在の人がそのドラマを見ていてハマって、彼女がヨン様によって少しでも癒されたのだったらあれはあれでよかったんだなと思いました。インタビューの内容よりも大事そうに飾ってあった「冬のソナタ」のポスターが雄弁に彼女の人生を語っていたなあと思った。

私はきっといろんな人の心の中にある原風景が知りたいんじゃないかなと思いました。そして自分の原風景も知ってもらいたいんじゃないかなと思いました。