I HAVE A DREAM.

のだめの最新刊読んだよ。

のだめカンタービレ (18)(講談社コミックスキス)

のだめカンタービレ (18)(講談社コミックスキス)

感想
Mandarin Electronさん、マトリョミン欲しい!
ちょ、待て、これ何?
http://www.mandarinelectron.com/theremin/works/index.html
テルミンでヴォカリーズ!?なんだよこれ!?

01 ヴォカリーズ/ラフマニノフ
02 歌わないでおくれ、美しい人よ/ラフマニノフ
03 ひばり/グリンカ
04 感傷的なワルツ/チャイコフスキー
05 ラシーヌの雅歌/フォーレ
06 夢のあとに/フォーレ
07 アヴェ・マリア/バッハ,グノー
08 私のいとしいお父さん/プッチーニ
09 アヴェ・ヴェルム・コルプス/モーツァルト
10 白鳥/サン=サーンス
11 献呈/R.シュトラウス

ああ、これだけの曲テルミンで演奏してるんだ、何曲か試聴もできるね、つうか「白鳥」の演奏風景YouTubeにあった。

私、最近よくドビュッシーの「夢」を鼻歌ってんのでテルミンでこの曲をやりたいと思ったのですが、テルミンってものすごく難しいんですよね。難しそうに見えないかもしんないけど、かつてコーネリアスが使ったおかげで一部でテルミン大流行した時に楽器屋で試奏させてもらったんだけど、全然ダメだった。渋公コーネリアスライヴのゲストでカヒミが「きよしこの夜」演奏してた時も大変そうだった。あと演奏風景見る限り腱鞘炎持ちにはつらそうな楽器だね。腱鞘炎持ちにつらくない楽器の方が少ないと思うというかそもそもクラリネット練習のオーバーワーク(+ピアノかけもち+筆圧の高さ+クラリネットの楽器構造による元来の利き手じゃない右手への負担)でかなりひどい腱鞘炎になってんだから、やっぱりきっぱり演奏者の道はあきらめなきゃならんて。
顎と手首ボロボロなんですよ、高3の夏休みあたりにはもうかなり引き返せない状態だったんだけど、11月の途中まで引退できなかったから気力だけでなんとか持たせたけど、引退した瞬間にほとんど両手首がアル中のようになってて、そんでも更に受験勉強猛ダッシュかけなきゃいけないから(実質受験勉強期間3ヵ月もなかった)気合い入れ直して集中力で更にごまかしてガンガン英単語とか書き飛ばしてて、そんで大学合格決まってやっと気が抜けたら二度と楽器演奏には耐えられない手首になってた。関節は替えがきかないから大切にした方がいいなってすごく思って、だからスケートでジャンプの衝撃を想像するにつらくなるからあんまり想像しない。
でも、色々あったけど、卒業する時に「先輩の音は忘れません」ってメッセージを同じパートの後輩の1人からいただいていて、もらってからしばらくはあまり気に留めてなかったんだけど、最近、演奏家としてあれだけの褒め言葉はないよなあと思って、演奏家としての私はしっかり報われていたなあと気付いて、当時の私は自分の音が自分の容姿と同じくらい嫌いで、要は自分が嫌いだったのですが、演奏家として「音」を忘れないでいてくれる存在がいるっていうのはものすごいことだなと思って、私の18歳で往生した演奏家人生はそう悪くなかったんじゃないかと思い直しました。「音」自体を褒められることほど演奏家にとって嬉しいことって私はないと思う。作家として「文体」自体を褒められることが最高に嬉しいことだと私は思うから、それと一緒かなと思う。文体はごまかしのきかない小説の肉体そのものだし、音楽のごまかしのきかない肉体は音(音色と言った方がわかりやすいか?でもやっぱそれだとちょっと違うな、純粋にsound自体のことだと示しておきたい)そのものだと思うから、だから、それが忘れられないものであるというのは、もはや音楽の肉体を永遠に失ってしまったものとして、とても嬉しいです。
そしてまた、演奏家としての肉体を失ったことによって実は本人は楽になったということもあったりします。自分の求める理想の音楽は私の実在の肉体を駆使してもどうやっても自分のものにできなかったから悔しくてしょうがなかった。理想と現実のギャップに常にストレスを感じていたものにとっては演奏家としての肉体を失って初めて音楽が観念のみの存在になって折り合いがついたという感覚があって。「音楽は友達」という言い回しを使う人がけっこういるけど、私にとっては音楽は私の実際の肉体の中に同居して一緒に生きているものです。「友達」という外部にあるものではなくなってしまいました。
だから、こういう気楽に書いているものはともかく、私の魂こめて書く文体自体に音楽が流れていると私以外の人に感じてもらえたら嬉しいなと思います。音楽風景を描写するという意味で「音楽が流れている」のではなく文体自体が音楽になっていなければならないんです。それができていないうちは私は小説を書く資格がないかなと自分で思いとどめております。
文学の世界ではないけども、それができている人を私は知っているから、その人の肉体自体が音楽であってその人が動くことによって音楽も展開する人を知っているから、音楽を表現するというより音楽こそが本人だ、と思えるパフォーマンスをする人を知っているから、だから、私もそういう人になりたいのです。