父の言い分

「切り裂き、乱れる。斬れる音が聞きたかった」と父(中野ファン)がDOI放送の高橋バチェラレットが終わった直後に携帯メールを送ってきたよ。イケメン魔術師の頃は「ホスト男」呼ばわりだった(ので大ちゃんが大ちゃんがいうの憚られ、特に私は贔屓のスケーターがいるわけではなく競技自体が大好きなんですというポーズをずっととっていたから私が彼のスケーティングが大好きだとは全く知らない)団塊世代の父がフィギュアスケーターとしての高橋大輔を認めてくれたのが私には感慨深かったです。

父はそう言いましたが(あとそのスケーティングをコンデンスミルクかき氷とも称した)、生で見て、テレビでも見て、やっぱり思ったのはバチェラレットは「水」だという感覚でした。この人のスケートに魅了されてからのプログラムって、ロクサーヌは「火」、ノクターンやラフ2は「風」という感覚があるんですけど、今回は深い深い水の底でうごめいている何かな気がしました。会場で私は一番上の席から見下ろしていたんだけど、そこでもまだ水中で、ちょっと高い岩場から何かがうごめいているのを見ているようなそんな感覚でしたよ。海上というか湖面というか、そういう表面のあたりではものすごく時化っていたとしても、底の方はいつでも凪いでいるでしょう。凪いでいると表現していいのかわからないけど下の方は常に静謐を保っている。そこに棲息している何かの動きだと思った。
技術的にはしんどそうだなあって私の見た回で私の真下あたりで転んだから余計そう思いましたけども、最初からこれは思っていて、ああいうムービング*1みたいなものって身体が固い人にはものすごくつらいらしいんですよ、それをしかもほとんど中腰でスケート靴履いてやるわけだから、非常に全身の筋肉を使ってふんばりがきかないとできないんですよね。ある程度力まなきゃいけないけど有酸素運動でもあって連続した動作で魅せ続けなければならないって、今までのモロゾフ振付と違う意味でやっている方はきついし難しいだろうなあと。
もう一つ自分の体験談から感想を述べますけども、タンゴ系の曲とかハチャトゥリアンの「剣の舞」とかああいった出入りの激しい派手な曲って難しそうに聞こえるけども、演奏している方としては決め所がわかりやすくて決め所さえ決めてしまえばなんとかなるし、そこも勢いでなんとかごまかそうと思えばごまかせるし、その型にさえハメてしまえば盛り上がってしまうし、ちょっとくらい失敗しても他のモチーフ(音楽動機)に移ればその失敗を聴衆も忘れがちなので、演奏者側としては楽な曲なんですよ。
それに対してバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」みたいな曲って、タンゴとか「剣の舞」より地味なんだけど、音の切れ目がなくて特に目玉となる決め所もなくてずーっと一定のテンションを保ちながら一曲まるまる演奏し続ける技術が必要で、力量がないと途中でボロが出まくって全く聴けたもんじゃなくて、でも力量がある人たちが演奏すると身体の奥底から感動が押し寄せるような名演にもなる、そういう地力が試されてタフな楽譜なのですけど、聴衆にはそれを感じさせて緊張させてはいけない、聴き手に綺麗で癒される曲と認知させて初めて演奏が成功したと言える代物で、今回のショーナンバーは後者に属するものでした。
だから、私が見た回で最後に挨拶する時にめちゃくちゃ本人がショックそうで何度も何度も頭を下げて謝りながらはけていったのは「うわ、わかる…」と思いつつ笑ってしまったというか今振り返るとすっかり部活の先輩気分になってまして、転んだ瞬間にふっとい声で「おいっっっ!」と叫んでしまってて、近くの席の人々に振り向かれました。そして同行者に、それファンの態度じゃないですよ、リアクション間違ってますよ、とたしなめられました。同行者によるとあそこで違う動きに移ろうとして身体のバランスを崩したらしい。中盤あたりだから一番きつい時間帯だろうし、あそこで失敗するとひきずるのはわかる。私だったとしてもめちゃくちゃしょんぼりして周囲に謝り倒すと思う。


ただ、振付としては「優しい」振付だなと思った。今回、他の宮本賢二作プログラムでも感じたことなのだけど、振付師がパフォーマーのことをよくわかっていて長所を生かし短所を目立たせない配慮ができている、全ての作品でそういう優しさがありました。
例えば高橋だったら、変形ポジションを多用しつつずっと重心を低く保って全身を動かせているから手足が短いことより刻々と動いている形の面白さに観客の興味が向くようにしたり、小さな身体を低い姿勢にあえてさせることによって卓越したスケーティングスキルも観客の目に入りやすくしている。
逆に中庭だったら、スケーティングでちょっと漕ぐ部分をノーマルポジションのスプレッドイーグルをたっぷりやらせることで漕がなくても済み身長や長い手足の見栄えの良さに注目させるようにしたり、客席の前で止まってセクシーにあおることで客を引き付けておく(これは前述の典型的なタンゴとか「剣の舞」パターン)。
織田だったら演技を端正にまとめる力はあるけれど少々スタミナが足りない部分を、男子なのに思いっきり足を上げるスパイラル姿勢をとらせて省力化、そしてその身体の柔らかさのインパクトだったり上げた足をギターに見立てた手の動きをさせることによってそっちに目がいくようにしむける。エアギターで客席に乱入させるというのも本人のキャラクターをよく心得ている。一見ハチャメチャにやり過ぎているようだけど、彼は基本の足下やポジションが上品なのと本人のもっているキャラクターが人当たりがよくて明るいから決してくどかったりうざったらしくなったりしないで全体的に楽しく盛り上がれるプログラムになる。
基本の足下や技術がしっかりしているのは南里にも言えることで、でもそんなことはショーを見に来るお客さんがあまり重要視することじゃないでしょう。だから徹底した色物で演出させて飽きさせないようにする、見せ場は猪木の声を入れてわかりやすくする、本人がシャイであまりアピールがうまくないならアントニオ猪木知名度を拝借して「あの猪木の人」と覚え込ませやすくする。

賢二くんはやっぱり気配りの人だった。私はこの人の作る競技用プログラムも見たいと思いました。
私の心の今後の展開が気になる人リストのオザケン小沢健二→連載小説が終わらないことには彼の真意は読めないので)オーケン大江健三郎→寿命がものすごく長ければいいなあ)の下にミヤケン(宮本賢二→この人本当に新進気鋭だわ、振付師として世界を本気で目指せ!)と書き込みましたよ。

*1:私が使っているこの単語の意味はかなり狭い世界の専門用語なので補足。クロッキーの形態の一つで美術モデルを何分間かコンテンポラリーダンス太極拳かというようにゆっくりどこをどう切り取っても絵になるようなポージングで動かせて好きな動きを瞬発力で描く、ということをやりたい時に「モデルさんお願いします」と要求される技術です。これは普段の固定ポーズで要求されるものと全く違うものを要求されるので苦手なモデルさんはとことん苦手