好きなポジション

オケでいうなら第二ヴァイオリンのポジションが好きです。というか、向いてます。
決して主役にはなれないけど常に主役の近くにいたり補佐したりさりげなく周囲に気を配ったり目立ちすぎず地味すぎずあまりにもさりげなくいるためにいなくならないとそのありがたみがわからないようなところにグっときたぜよ(「歌姫」毎週楽しく見てんのよ)。
私はオケでいったらヴィオラあたりが向いてるんだろうかと思っていたけどやっぱ第二ヴァイオリンなんだなあと思いました!ヴィオラまでマニアックになれない、ヴィオラ記号って何それそんなの読めないよってやる気なくしそう。ヘ音記号でもト音記号でもないヴィオラ記号を解読するヴィオラ男子萌えは正直あるだろうが私はヴィオラにはなれん!なんつーか第二ヴァイオリンはサブカルヴィオラはヲタク?みたいなそんな感じ。メインストリームは第一ヴァイオリンでその傍流なんだけどアプローチの仕方がサブカルとヲタの違いみたいな感じがする。
骨の髄までサブカルな私がヲタを自称することがよくあるのでちょっとややこしいですけどね!まああれだ、どっちでもいいよって言われそうな程度の違いなんだけど中にいる人間にとっては大きなことなんだよきっと。

とにかく私は主役が自分は嫌なのです。ゲリラの戦いのようにヒットアンドアウェイで「あれ!?」と思われた瞬間にはもう姿をくらましているくらいがちょうどいいのです。

仕事人とか玄人の仕業とかそういう単語にクラクラきます。玄人受け大好き!素人おいてけぼりでも気にしない。
縁の下の力持ちにはなれないんだけど、遊び人の金さんポジションはちょう魅力です。普段は昼行灯扱いされてる影の大物みたいなもんにちょうなりたい。

えっと、私は「犬身」を読み終えたので、そのことを色々書こうと思っていたのに、どうして今こんなことになってるのかわかりません。「ナチュラル・ウーマン」と「裏ヴァージョン」が呼応しているように、「親指Pの修業時代」と「犬身」は呼応していたなあとか、童話・寓話の語り口を使って「色々ありましたがラストには救いがありますよ」というのはやはり日本人作家が書いたものなんだなあとか読んでていっぱい考えたことはあったのに。私はこのフォーマットが落ち着きます。そういった意味で大江健三郎の「個人的な体験」のラストも好きでした。ああいうラストが日本的情緒の最たるものな気がします。その気配りが第二ヴァイオリンぽいなあと思います。
「個人的な体験」を批判した人ってひたすらメインテーマを奏でたいもうむしろがなりたい三島由紀夫とか中上健次とか柄谷行人なんでしょ、私は彼等(ここに蓮實重彦小林秀雄を加えてもいい)の小説や評論を好きになれないから、小説や評論だけじゃなくもっと根本的な「思想」を好きになれないから、まだまだポジションを確立するためには格闘しなければならないんだなあというかまずはポジションを得るために格闘をしなければならないのでした。主役にはなりたくないけどきっと舞台には立ちたいんだと思います。舞台袖にも立てていない自分にうんざり!なので流れに身を任せてなんとか舞台までたどりつければいいなあと思うNHK杯直前私の状況でした。
端的に言うと「テンパってます」この一言で終わります。