ドン・ファン、トマーシュもしくは高橋

・歴史的なアメリカ大統領選が間もなくなので、臨戦態勢を整えるべく行動していますが、時差のことをまるっきり忘れてて、日本時間の4日あけてもどうしようもないじゃん!と気付いたのが割と最近です。
・ロシアのグルジア侵攻やなにやらノーベル文学賞とかまあいろいろ考えていて、1968年ブームがリミット超えたので、とりあえず『プラハの春』を押さえてみようと永遠のノーベル文学賞候補作家ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』購入。
チェコってそれほど大きくない国にしては割と世界的に名前の知れた作家が多い気がすると今更気付く。
・まださわりしか読んでなくて、あとパラパラめくってみただけの感想は一言「トマーシュwww」
・世界文学音痴に近いので、もう必死に現代世界文学の潮流を押さえようとしてみてるのに、とりあえずクンデラ!は、世間的にはなんか違うかもしれん。でも私はそういう人間。マイベストゴダールは『中国女』ですから。
・いや、ほんと、1968年はもっと評価されるべき。プラハの春から世界的に波及した一連の学生運動、これをふまえず三島事件を語ることもできないし。
バラク・オバマが本当に当選してしまうなら、今、キング牧師が暗殺された年、ロバート・ケネディも暗殺された年についてはもっと知っておいた方がいいだろうと突貫工事中だったが間に合わないこと確定。
・調べたら川端康成ノーベル賞受賞も1968年だった。
ノーベル賞ってとくに政治的な作風に特化してるわけじゃないのな、その賞の与え方に政治的な配慮はあるかもしれないけど。
三島事件は別に語りたいわけじゃないが、三島事件が同世代人に与えた影響が、小澤征爾武満徹大江健三郎武田泰淳(というか百合子さんに主眼を置いたものだったけど)その他もろもろの人の本や対談の端々に伺えて、ちょっとここはしっかり自分で捉えないといかんと思った。三島由紀夫の文体は好きじゃないので特に読まないです。中上健次も文体が合わないので読めないです。
学生運動だのなんだのとの絡みでインテリ源ちゃんこと高橋源一郎の話をちょっとどっかでしたような気もするんですが、高橋源一郎と遭遇した男の人が皆口を揃えて「モテオーラが出てる!」と言うのが不思議です。遭遇した女の人からはそんなことあんまりきいたことない。でも実際モテるから5回も結婚してるんだろうけど。で、多分、私はそのモテオーラを感知するタイプの女の一人であると思うけど。ちなみに私はニアミスはあるが遭遇したことはないのでモテオーラうんぬんはいつか遭遇した時のお楽しみとなっています。
高橋源一郎の文体は得意ではないがなんとか読める。坊ちゃん&インテリ臭さが鍵な気もするが、それだけだと三島とどこが違うと言われますよね、あ、ホモフォビアが嫌い、というかジェンダーバイアスうんぬんかもしれん。差別の問題となると中上健次が絡んできてしまうが、この人の文章を読めないのは、この人の文体には日焼けした畳から漂う饐えた精液臭さが蔓延してて耐えられないのです。
・文体が好き嫌いとか自分と合わない、というのと作家としての評価はもちろん別です。
・今シーズンのローリープログラムは軒並み「いいなあ」と思ってみてました。
・(ベジャールボレロ厨的にはライサチェクのあれは『ボレロ』である必然性があったのだろうか?という問題に触れるべきなのでしょうが、それよりあんなに『ラプソディ・イン・ブルー』が似合わないアメリカ人を初めて見たという衝撃の方が大きくて。
・ていうか、あれ『ラプソディ・イン・ブルー』として成立してないよね、途中ガーシュインのピアノコンチェルトとかも入ってるし、つなぎメッタメタだし。
・他の曲とつなぐ、とかそういうのが悪いんじゃなくて、つなぎのセンスが悪いという話だ。一曲だけ使え、という原理主義者じゃないです。そういう考えの持ち主だったらリミックスとかマッシュアップとかきかねーよ。どうつなぐか、つうところの腕の見せ合いが楽しいんじゃねえか、という文化圏育ちだから色々つなぐのには抵抗がない、あくまでもそのつなぎ方を問題としている。
ガーシュインの扱いはローリー・ニコルがやたらうまいという印象があるのです。ゲーブルの『パリのアメリカ人』や未来ちゃんの『I got rythm』が大好きだというだからというだけかもしれないですが。
・シェイリンの作った『サマータイム』もよかったですよねえ、北米人にまかせておけばいいのに、というか、ライサチェクはローリーに作り直してもらえばいいんじゃないか?といたたまれない気分で思いました。笑っちゃいけない感がいたたまれない。
・あ、フィギュアスケートでの『ボレロ』問題は美姫ちゃんのあれで私は完成系というか、そんなえらそうな言い方ではなく、ああ、もう、あれを見るためだけにアイスショーいってもいいや、と思えるくらい、美姫ちゃんのボレロを見逃したくないなあ。いろんなコンディションのものを見れるだけ見ておきたいなあ、あの子はたぐいまれなるボレロダンサーだ、ボレロの肉体をもっているからどんなコンディションのときでもボレロが成立する奇跡的な子だ、と思ったので、ぐちぐち言わずにただその機会をつくりたい。競技プロでみたいとかそういうエゴもなく、ただ、あれが見れて果報者だと思ってる。彼女が動けばボレロが流れる、そういうくらいの自然さをもつ人ってほんとなかなかいないよ。
・で、私がクラシックバレエの筋書きで一番好きなのは『ジゼル』なので、今季の美姫ちゃんはとても気になっている。SPの衣装もFSの衣装もとても素敵だった。
・FSの構成とかなんとかは色々あるのでしょうが、あの子は心を氷に落とすんですね。心が氷についてないとかそういうんじゃなくて、いつも勝手に落ちちゃうんですね、リンク全体に心が入り込んじゃう、だから『ジゼル』滑っている間ずっと、今の泰葉*1を見てる時バリの不穏なザワザワしたものを感じてしまって、それはそれで『ジゼル』なんだからいいんじゃないかとは思った。一応成立はする。
・その点友加里ちゃんはプロフェッショナルな踊り手だなあと。どんなに調子悪くても破綻させない、端正な『ジゼル』でした。
・この二人、これからどうなるんだろう。
・まあ未来ちゃんのFSを見ていたら、ものすごくこの子のことをローリーは愛して愛して可愛がって大事に育ててるんだなあ、ってわかって、ちょっとそのことに感動して涙ぐむ自分がいてびっくりした。実はスケアメはそれにつきたりする。
・もちろん男子の結果にも大層喜んだが、意外とそんなに驚いてはいなかった。いつか来る日が今来たか、という感じでした。
・これからはもうのびのびとのんきに喜ぶ立場ではなくなっていくんだなあという感慨と共に。無邪気にはしゃげるつかのまの状況を愛おしく思ってみてしまった。
・あ、でもいてもたってもいられなくて、超緊縮財政の中、『カッティングエッジ』は買っちゃった。『存在の耐えられない軽さ』と一緒に。
・で、伏せていたFSは『道』だったと。なんて自分のことわかってんだよ、と思いました。
・そのプログラムはまだ見てないからなんとも言えないですけど、イタリア・ネオリアリスモのひもじさってしみますよね…イタリアの貧乏って空っ風の吹きすさぶ貧乏で、フェリーニってそこに虚無の問題も絡むからきつい。あとカトリシズムとの葛藤・対峙・超克なんかもあると思うんだけど、それが暴力として表出してしまうのを見るのが嫌です。その映画をみた時の手触りとしてのカトリシズム問題はスコセッシ映画とも通じます。ただ、フェリーニはほんと、カトリック総本山のお膝元で映画作ってた人なので、なんかいろいろあるんだろうなあと『道』と『アマルコルド』しかみてない私が知ったような口をきく。
・あー、あとフェリーニって『弱者』を容赦なく描くでしょう。あれが受け止めきれないのかも知れない。だってなんかすごい突き放して描くんだもの。
ローマ帝国であったりバチカン市国があったりする文化の中で、階級差別っていうのは当然今でも厳然とあるんだろうなあ。
・中世の王様には必ずお抱えの道化がいたといいますが、道化なり占い師なり魔術師とかきっとそういう部署たくさんあったと思うんですよ、王様の横って。
・そういう部署の人がよく似合うんじゃないかって思ってたんです。なんとなく。だから、『道』かあ、そっかあ、ってなりました。
カッティングエッジ』読んでたら自分でも答えたくなったので書いてみる。
・衣装といえば:キラキラ、きれい
・スケート靴といえば:憧れ
・コーチといえば:こわい
・振付師といえば:芸術家
・キス&クライといえば:ドキドキ
・メダルといえば:かじる
・6分練習といえば:あれはいいものだ
・記者会見といえば:フラッシュ
バンケットといえば:社交界
・好きなスケートリンクは:NYロックフェラー広場前
・好きなペアは:ゴルデーワ&グリンコフ
・好きなアイスダンサーは:アニシナ&ペーゼラ

これ、スケート靴に対する、高橋・織田・小塚の答えがそれぞれのスタイルと合致してる気がして納得した。それと別枠で全般的に羽生くんの答えがかわいすぎる。

*1:早く保健所が保護した方がいいと思う、本気で。素人見立てはいけないのだろうけど、私あれ、もう統失の域に達してると思った