民謡・土着

最近の1968年ブームやヤナーチェクバルトークガーシュインあたりを好む態度でもってタン・ドゥンを受け入れているらしいという気付きはともかく。
アメリカ大統領選でもって割と選挙欲は満たされて、この後日本で総選挙でも、オリンピックの後の世界選手権的な感覚だろうなあと。

喋ることって本当に難しいなあと思いながら、ぽつぽつお茶したりなんだりした人との会話で気付いたのは、友人知人の中で「人見知り」と自覚していてこちらもそうだろうと思える人になぜか私が人見知りしていないこと(●●のパートナーという出会いがほとんどで予備知識はお互いあるからかもしれませんが)、インタビュアーの資質とライターの資質はやっぱりかなり違うなあという「人見知り」同士の同意、その違いはライターとエディターくらいは離れていること、両方もしくは全てをやれるオールラウンダーを「人見知り」側はうらやむのだが、「オールラウンダー」側はそれを不思議に思っているらしいこと(彼ら・彼女らはインタビューができるならライターもできる、ライターができるならインタビューもできる、とごく自然に思っているらしいこと、そしてエディターだってまた然りとも思っているらしいこと)、そして、なぜかオールラウンダー的な人のパートナーはだいたい「人見知り」側の人であること、「人見知り」側から見るとどう考えても「あちら側」の人なのに、当人は自称「人見知り」という場合も少なくないこと。ここでは便宜上インタビュアー/ライターと使ってますけど、とくにこの業種に固定したものではなく、喋ること(たとえば社交・最低限のマナーを守りつつの領土の拡大への欲望)と書くこと(たとえば孤立・最低限の領土の確保と深度への欲望)の関係性の一例としてもらっておいた方が正しい。喋るように書いたり書くように喋れる人もいれば、その運動が全く連動しない人もいる。

そして、私の相手をしてくれる奇特で社交的な人々のパートナーとなぜか私は初対面から打ち解けることが多く、それを不思議だと思っていたのだけど、それはなんの不思議でもなくて、そういう人をパートナーに選ぶ人だから私の相手もできる資質を持っているという逆転の発想。

ブーレーズ・コンダクツ・バルトーク』と、クラシカ・ジャパンの広告が目に入って、ブーレーズ!コンダクツ!!バルトーク!!!と全てのキーワードに高速で反応して契約してしまった人は私以外にどれだけいるのでしょうか?
http://www.classica-jp.com/
あ、今月『ジゼル』キテター!
http://www.classica-jp.com/ballet/index.html
毎年、ウィーンフィルニューイヤーコンサートで「来年はブーレーズが来る!」って言いたいんだよ!こないけど言いたいんだよ!だから長生きして下さい。

BS世界のドキュメンタリーでやってたバレエ学校の子(卒業後マリインスキーに入ったそうです)の特集と『エトワール』をたまたま続けて見てて、ロシアとフランスじゃ全くスタイル違うなあと。『エトワール』はカメラワークがつらかったからもう見ないだろうけどベッシーとかベジャールとかちょこちょこ出ててそれは面白かった。

ブーレーズ・コンダクツ・バルトークの広告を見てから「あのね、ブーレーズがね、バルトークをね、振ってるのをね、テレビで、うちのテレビで見れるんだよ!しかも録画できるんだよ!」と人と会う度にまず語るのですが、誰にも相手にしてもらえません。その割に時間帯がフィギュアスケートデヴィッド・リンチ特集とかぶってなかなか時間割を見つけるのが難しいですね。

あ、『さよならみどりちゃん』の映画を映画館で見逃したから、夕方にやってるのをたまたま見たんですけど、土曜の夕方に見るのが丁度いい感じの、原作とはまた違ってこれはこれでいいんじゃないかっていう映画でした。原作とはまた違うっていうのもちょっと細かくいうと違って、違ったのは主人公だけなんです。あとは原作通り、あのユタカっつう男を誰がやっても嘘っぽくならないか?と思ってたのに西島秀俊がそのまんまユタカになってた。だけど、星野真里がどう見てもゆうこじゃない。中身も外見もマンガの中の人とは彼女だけが別物。ただ、星野真里の裸があまりにも女優の裸とは思えず、そこらへんにいるかわいくもブスでもないスタイルがよくもわるくもない欠点もあるけど長所もあって差し引き0かなーという女の子の裸のような、そのそこらへんにいそうな女の子がそこらへんでやってそうなセックスという生々しさが逆に南Q太マンガの妙に体温を感じるリアルなすぐそこにあるなまめかしい手触りに通じるような気もして、それを再現したいのならああなるしかない気もした。他のキャストがあまりにもマンガ通りだったので、映画の文法や肉体に落とし込むための配役だったのかなあとも。いや誰にオファーしても脱ぐのNGで星野真里まで辿り着いたって線も現実的にありそうなんだけどさ、あの人は金八の娘の「乙女ちゃん」じゃない。「乙女ちゃん」が金八の見ていないところではこんなことに…!!!という裏金八目線で見るなまめかしさも狙ってないとはいえない。

これ、公開時、確か『大奥』で西島秀俊星野真里が共演してて、『さよならみどりちゃん』で絡んでて、『大奥』が当たったから『篤姫』があって、『篤姫』の宮崎あおい西島秀俊は『純情きらり』で桜子と冬吾で、『純情きらり』の脚本家は『大奥』(と『ラスト・フレンズ』)の脚本家で、と軽くパラレルワールドになっているというか、『篤姫』は色んなドラマで見たような風景ばかり見せられているような変な気分になったりします。だって、ともさかりえと市川美日子が畳の部屋、古い日本家屋で一緒に窓から外見てるなんて、まんま『すいか』じゃんか。ドラマ『のだめ』キャストとの類似点ばかり(龍馬登場のちょっと前にワンポイントリリーフ的に注目を浴びた井伊直弼暗殺した人が『のだめ』で大河内役やってたとかそういう)指摘してる場合じゃなかったですよあそこ。ソフトバンクモバイルのCMがそのまんま流れそうなタイミングで編集したりするからなんかそういうあざとさにイライラする。そしてその度になんだかんだいってテレビもドラマもみてんなあ、となんだか元ネタ探しばっかりやっては気付いてる自分の性にイライラする。こんな思考停止ドラマ、とかぶつくさいいながら毎回きちんとなんでか見てしまうその力はすごい。見た時間分はそれなりに楽しんで、ヲタ気質のコンプ心により一話たりとも見逃すのが悔しいという罠にしっかりはまってる自分がなんか嫌だけど、もう11月で、あともうちょっとでフルコンプできるから頑張るんだ。宗教でもなんでもこういう構図っていうのわかるんだ、わかるから近付かないようにしてるんだ。反応したら負けなんだ。あ、でも、脚本家の人、『さくら』の時に続いて小澤征爾の息子さんをうまく使ってるところはちょっといいなと思ってた。あの西郷は西郷どんだろう、ってなんか説得力がある。その説得力の源は眉毛だと思うんだけど。

この前松浦理英子のインタビューとってたサイト、浅野妙子のインタビューもとってんのか、なんでだ?と思ったら『ラスト・フレンズ』の上野樹里の役の関係か。
http://www.tokyowrestling.com/articles/2008/06/last_friends_1.html