芸術は無力か?

朝吹真理子が読売新聞の書評で坂口安吾取り上げてるんだけど、どうも、この人、様々な意味を含んだ「野蛮」ではなく、おおむね素直な意味で「野蛮」って評しちゃってるぽい(それは水村美苗坂口安吾への態度に通じるものがある)。

<人は孤独で、誰に気がねのいらない生活の中でも、決して自由ではないのである。そうして、文学は、こういう所から生れてくるのだ、と僕は思っている。>(『日本文化私観』)

 三月十一日以降、いま読むべき本は何かと問われることが少なくはない。大江健三郎高木仁三郎モーリス・ブランショ。どれも心から読みたくなった本ではあるのだけれど、いままで読んでいた本のつづきを読みたいように読むことが一番健やかだと思う。いま読むべき本などは、はじめから存在しない。読書をすることが新しい本との出会いを自ずと導いてくれる。

 私の場合は、坂口安吾という野蛮な作家に縋りつきたい思いを強く持った。それは、軽薄に感嘆符をつけたかけ声ではない、もう終わったな、という嘘のない絶望の声を誰かに言ってほしかったからだと思う。大震災や原発事故による、文明や理知では解決できない現在を前に、付け焼き刃の知識などは何の役にも立たない。希望は、掲げているだけでは何の意味も持たない。そういうとき、頑健な肉体と繊細な本当の知性とを兼ね備えた人の声を聞きたくなる。

 いま『白痴』を読むと、明日書かれる作品を読んでいるように思えた。少し先の私たちのすがたを示しているようだった。安吾の書く戦時下の世界は原発をめぐる回避不可能な暴力に似ている。いまの雰囲気は戦争の論理で物事が動いているように私には思えている。

 坂口安吾の言葉は、終わりなき日常が終わってしまった後の言葉であると思う。圧倒的な絶望がある。偽悪でも韜晦でもない、徹頭徹尾の絶望がある。「もう終わったな」と言いながら、ステテコ姿であぐらをかいて一日を過ごす。言葉に一切の嘘がない。安吾の「絶望」の意志に胸を打たれる。

 こんなに不自由で孤独で陰惨な現在を生きるには、無根拠な希望を掲げるのではなく、「絶望」を引き受ける意志からはじまることが必要なのだと思う。それがほんとうのポジティブさで、安吾の「絶望」はとことん明るい。もっと絶望せよと私は私自身に言いたい。

http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20110613-OYT8T00172.htm

今頃絶望と向かい合うことを考え始めるとか、つくづく雰囲気で生きてきた幸せなお嬢さんなんだなあと思ったけど、それは悪いことではない。ただ、「なぜあなたは小説を書いたのか」ということは問いたい。
彼女だけではなく、様々な芸術家が、3/11以降「自分は無力だ」というようなことを口にした。そのことに私は絶望した。絶望せざるを得ない人生に追いやられても、なんらかの芸術に縋り付いてなんとか生きてきた人間に対して失礼だというか、そんな覚悟もなく表現してきたのか、と悲しくなった。そういう人間はたくさんいるのに。絶望から出発していない芸術家・表現者はこんなに多いのかと思った。

この書評を読んで、安吾を手に取る人が一人でも増えたらいい、それは本当にそう思う。10代の絶望の渦中にいた時の私の魂の記憶が保証する。健やかな読書体験など持たなかった私が薦める。そもそも読書とは健やかなものなのか?とも疑問に思ったが、私はこの書評を書いた人の大叔母さんの翻訳した仏文学に描かれた世界に憧れながら坂口安吾の描く絶望の淵からのメッセージを希望の光として生きてきたので、彼女の生活圏での読書は健やかなものであって欲しいなともちょっと思う。
そして何より、いま読むべき本は私の本だ、と言える人になりたいなと思った。私個人の「不自由で孤独で陰惨な現在を生きる」ことが終わったことに気付いたきっかけが震災だから。過去に差し伸べてくれた様々な手に恩返しするため、そして「不自由で孤独で陰惨な現在」が始まったばかりの人々の手引きをできるくらいの力はついたはずだから。なので、絶望に呑み込まれた人々のための灯台と光を生み出したいと日々努力し、灯台守志願の履歴書作成中です。

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私は、税制とか経済のことなんにもわからないんだけど、消費税を復興財源に、とかいうなら税率あがるのも仕方ないかとは思うけど、その場合、被災地は特区かなんかにして、消費税率据え置き(もしくは撤廃までやっても)とかって無理なのでしょうか?そうしたら他県の人が福島とか宮城とか岩手で大きい買い物して経済的にもメリットあったりするんじゃないの?そもそも間接税で被災者から徴収する類の目的税は矛盾してない?なんでこういう話でないんだろう。やっちゃいけないことなの?それとも私が知らないだけ?こういう時は税の公平負担の原則の例外にしたっていいと思う。それくらいトップダウンでやっていいと思う。

震災発生から3ヶ月経って、各メディアがまとめの特集をやったら一気に被災地関連のニュースが少なくなった。だから、これからが私達の本当の勝負です。なんらかのメディアに触れていたら勝手に情報が入ってくるフェーズが終わった。情報が入ってこないからって「たよりがないのはよいしらせ」と無視を決め込んではならないのです。