My Dear K.O. 2011ver.

marginalism2011-12-21

 小沢健二Ustream見て、それがタケミツメモリアルでのコンサート告知だと知って情報過多のあまり体調崩して寝込んでたらもう3週間くらいたってて驚いた。
http://www.hihumiyo-operacity.com/
 タケミツメモリアルって本当にいいホールで、もうね、正直札ビラ切ってヤフオクとかで10万円くらいでチケット競り落としてガツガツして入ってきてほしくないんですよ。やっと見つけた安らげるお気に入りの隠れ家カフェが荒らされるような気になって。でもどうせやるんでしょう、いい年した元オリーブ少女の「大人女子」とかいうおばさんとか、小金持ちになった元ロキノンジャパン読者とか、ブイブイいわせて土足でガヤガヤ目血走らせて入ってくるんでしょう。タケミツメモリアルの名に恥じないような行動をとってほしいと思っても、そもそも、その意味をわかってくれないんでしょう。タケミツメモリアル小沢健二がコンサート…!?「あの」タケミツメモリアルで「あの」小沢健二がコンサート…!?小澤征爾がサイトウキネンと共にこけら落とし公演をやった「あの」タケミツメモリアルで…!?という、かけがえのない気持ちを踏みにじるんだ、奴らは。武満徹の繊細で美しい魂がつまっているような場を奴らは「灰色」にまみれて血みどろになって金にあかせて場合によっちゃ12日分コンプリートとかしてゲップでみんなにセイハローなんつってあがりこんでくるんだ。小沢健二風情がタケミツメモリアルでコンサートなんぞ!とまで思い詰めたよ。
 なんだろうなあ、私、武満徹の死去を東中野の映画館で武満さんが音楽担当した映画を見に行った時にそこに張り紙が出されていて知ったんです。音楽家の死を出先の張り紙で知ったのって、これとHMV池袋店で見たフィッシュマンズ佐藤伸治だけなんで、両方鮮烈に覚えています。それからしばらく経ってタケミツメモリアルで行われるコンサートへ足を運ぶことになって、初めて入った時に、東中野の映画館で張り紙を見た瞬間の印象からそこへスムーズに繋がったんです。東中野の映画館でチケットもぎってもらって入った場所はタケミツメモリアルだった、みたいな感覚。東京オペラシティって新宿っていっても初台だから、私が東京出てきてから延々と住んでる範囲からは東中野も初台もターミナル駅に出ずに行けるんですね。騒々しい場所に出ずに静かに映画や音楽を味わえるような、そういう貴重なスポットなんです。それはまた、私が大学生の時に「オザケン」時代の小沢健二の武道館や横浜アリーナに通い詰めた熱狂と違う文脈で密やかに守っていた心の奥座敷のオアシスでもあったんです。
 その二つの流れが合流することは、個人的には大きすぎる意味があるのだけれど、大多数の「オザケン」ファンにとって、そのハコのことなんてどうでもいいことで、ただいい年してオザケンスキー!だけで上がり込んできちゃうことも容易に想像できるので、嬉しさと虚しさが混沌として情報さばききれなくて倒れた。倒れるくらい好きなんだ、両方とも。
 だから悲しい。小沢健二武満徹も好きで尊重してる人なんて、今回のチケット取れる人ではごく僅かだろう。もしかしたらその会場に小澤征爾もいるかもしれない、そこに居合わせることができるかもしれない、という可能性について考えた時、その意味を特に大事とは思えない大多数の人にその「事件」がかき消される可能性もまた強いなと思って、それだけで泣けた。
 定価以上の額を出して入る場所じゃない。そういうことをしてタケミツメモリアルを汚したくない。超金融資本主義社会の流儀としてはそれは正しいことなのかもしれないが、武満徹の魂を愛するものとしてそれは正しくないのでやりたくない。とっても行きたいけどその線は譲れないです。でもこれは本当に単なる個人的な倫理観でしかないので、他人には押し付けられないので、幸運にも定価でチケットが取れてその場に立ち会えたとして、自分の中の大きな文脈の交差地点の雑踏にまぎれた時に自分がどうなるかっていうのも全くわからなくてこわい。喜びを分かり合える誰かが小沢健二以外いなくて、始まる前のホワイエで孤独になりそうでこわい*1。ここのホワイエがまたとってもいいんですよ。「東京の街が奏でる*2」ってコンサート名にうなったもの。ああ、そうきたか、と。今回のコンサートに対しての小沢健二の意図が過不足なくわかるし、それがタケミツメモリアルである意味もしっかりこめられてて、詩人としての小沢健二は健在だなと。もうこの言葉だけで何がどうなってどうしたいか伝わるよね、場も音も。『うさぎ!』を小説と言っていいなら小説家としての小沢健二は全く信用できないというかあんなもの全く小説じゃないし小沢健二の悪い面が凝縮されている廃棄物だと思ってますけど*3、詩人や音楽家としての小沢健二は相変わらず尊敬できる人だと思う。私の中では完璧にそこは90年代渋谷系同窓会をおおっぴらに繰り広げる場所ではないので、小沢健二タケミツメモリアルでのコンサートに寄せるコンセプトとあの場の力で、そういうオーディエンスの騒々しさを封じ込められるといいな、とささやかに思っております。

東京オペラシティタケミツメモリアルのホワイエ
http://www.operacity.jp/concert/facilities/ch-03.php

私のタケミツメモリアル感想記
http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20090214/1234623206
http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20090724/1248373938

おまけ:坂口安吾『ふるさとに寄する讃歌-夢の総量は空気であった-』(「東京の街が奏でる」の文章の方を読んで、ああこれは小沢健二の『ふるさとに寄する讃歌』なのだとも私は解釈した)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45731_24341.html


あと、これも面白い。チケット取れた人に読んでもらえたらいいなと思う。(71-73Pあたりでヴァイオリンを習う小沢健二少年について小澤征爾が言及して武満徹に説明しているエピソードがある。1970年代後半のお話です)

音楽  新潮文庫

音楽 新潮文庫

*1:どうしようもなくなってあの頃どこのライブ会場にいっても見かけたA.K.I.を必死で探すと思う、『DO MY BEST』のような作品をドロップした彼ならこんな気持ちを分かりあえるだろう。むしろA.K.I.と一緒に行くならこわくないくらいの勢いで友達になっておきたい

*2:こちらも参照→http://hihumiyo.net/tokyo.html  これ、演出上の席の話ちょっと出てるけどパイプオルガン使うのかな?私、あそこのパイプオルガン使ってるのは生で体験したことがないので、ちょっと気になってる部分です

*3:これに関しては非常に長くなりますし、武満さんに触れた文と一緒に書くのは忍びないのでまたの機会に。もし小沢健二さんや他の誰かが個人的に知りたいのであればmarginalismアットマークgmail.comまでご連絡ください