記録と記憶

marginalism2012-12-15

NHK杯のためにセキスイハイムスーパーアリーナに張った氷をフリーを滑り終わった羽生結弦が撫でた時、「そうだ、ここは去年の晩冬から春にかけて遺体安置所とされていた場所だった」と思い出した。氷の下には遺体が並んでいたのだ。日本の報道では遺体安置所の場所は報道されていても遺体そのものが報道されることはない。『羽生結弦』とGoogleで検索してキーワードで「羽生結弦 安否」をサジェストされることがなくなってもその事実は消えることがない。
ニースワールドで羽生結弦がフリーを滑る前に手を合わせて、滑りきった後に腕を高くあげて人差し指を天を突き刺すように立てたこと、そして宮城で開催されたNHK杯のフリーを滑りきった後にその氷の下に伝わるように優しく撫でたこと、全てそれは肉体を持たなくなった魂やなんとか肉体は保てていても傷ついてしまった魂に捧げる行為だ。彼の一連の行動と気持ちによって私はその場所であったことをただの記録ではなく、魂の記憶として捉え直すことができた。あれから1年8ヶ月後にはフィギュアスケートの試合ができる場所となった、その場所の記憶。ただの大会ではなく鎮魂のためのイベントでもあった、そのことを私は忘れない。

「記録」を「記憶」へと解放すること。それが芸術であること。11月末から12月初めにかけて行った2つのコンサートでもそのことは強く感じた。
11月29日のクリスチャン・ツィメルマンのピアノリサイタルでのブラームスはとにかく壮絶だった。
武蔵野市民文化会館という会場は多目的ホールなので、最初の方のドビュッシープログラムの時はダイナミックレンジがちょっとうまく掴めてないと感じたところや、ホールの響きと本人が鳴らしたい音の誤差などもあるんだろうなと、ホールが一言でいうとヤワい、そして客は冬の装いで帰りには雨が降るような湿度のある日だったので、残響やタッチの調整がメカニックとして微妙にずれていて、他の演奏家ならともかく、ツィメルマンにしては、と思うところもあった。が、前半最後の「西風の見たもの」でやっとフィットしたなと思ったら、休憩後にはそんな余裕をかましている暇がなかった。
後半最初のシマノフスキポーランド人がシマノフスキを弾く時には同じ原風景が見える。ブレハッチツィメルマンはタイプが似たようなところがあるから余計そうなるんだろうけども、ショパンよりも純粋なポーランド本来の音、風景、匂い、何よりポーランド人が立ち上る。もちろん二人は違うピアニストだから似たような角度ではあっても違うアプローチにはなる、でも、『ポーランド人』として彼らが共有するものを直接体験することで、『ポーランド』が心に刻まれる。シマノフスキの記録をピアニストが記憶として解放する瞬間の快感。私が知っている乏しいポーランドの知識など吹っ飛んで直接その場所に引き込み連れ去っていく、ツィメルマンの楽譜を忠実に読み込み透徹に封印を解く力量に圧倒されつつ酔いしれていた。シマノフスキの場合は酔いしれているだけで済んだ。なぜならシマノフスキが描いてるのは『ポーランド』だから。そして懐かしい優しい場所としての描き方しかしていないから。
その余韻の中始まったブラームスピアノソナタ2番。ツィメルマンは楽譜を忠実に読み込み透徹に封印を解く。シマノフスキを演奏していた時はそこにツィメルマンの姿はあった。それはテーマが『ポーランド』だから。ツィメルマン本人がその楽譜の封印を解く際にその場所にいても差し支えないからだ。
でもブラームスを弾き始めた途端、姿や存在が消え失せた。ただの狂言回しとして『クララとブラームスの物語』を語り始めたからだ。あまりにも純粋に楽譜に描かれている一つ一つの意味を拾い上げて自分の解釈などは全て慎重に取り除きブラームスの直接の声を伝えることに専念していた。それはひたすらに『クララに対するブラームスの想い』なので非常に重苦しく切実で身が引き裂かれそうで何度も何度も「やめて!」と思った。
私は『ポーランド』は知らない。でも、『報われない恋愛』は知っている。そして『シューマンとクララとブラームスの物語』も知っている。これは自分の恋愛ではない、なのに自らの事のように突き刺さる。他人の恋愛追体験させられて、非常に重苦しい三角関係の狭間から生まれてきた悲痛な音楽で直接脳を殴られて、まるで自分が長年ブラームスが恋焦がれた対象とされたかのようにつらくなり、数日間寝込みました。それは私の記憶じゃない、なのに私が直接体験した恋愛の記憶を呼び覚まされたかのように鬱になった。だからブラームスは嫌いだ。鬱をこじらせたり極限状態で聴くブラームスは私によりそってくれる音楽だけれども、なんとか日常生活を送れている時のブラームスは嫌いだ。大嫌いだ。その場所にいたら何かを表現せずには生きていけなくなる、でも、何かを表現するためにボロボロになってしまう、そんな場所に一生いたブラームスなんか大嫌いだ。

そしてブラームス鬱から抜け出せないまま12月4日のコリン・カリー・グループによるスティーヴ・ライヒ『ドラミング』ライヴの日を迎えてしまった。会場の東京オペラシティタケミツメモリアルにたどり着くまで、電車は乗り間違えるし、駅構内では迷うし、ブラームスのせいで判断能力落ちてて本当大丈夫かしらとも思った。会場がタケミツメモリアルじゃなかったら私行ってなかったかもしれない。でも、あのホールが私は大好きだ。反射板の一つ一つまで武満が宿っているような会場全体が一つの楽器のようになっているホールが大好きだ。そこで聴くスティーヴ・ライヒなら大丈夫だと思った。結論としては行って良かった。クラッピング・ミュージックで登場してきたライヒ本人の楽しそうな笑顔。音楽とは本来こういうものだ、という説得力に溢れていた。
そして、マレット楽器、声とオルガンのための音楽、これで泣いた。ポーランドも恋愛も飛び越えた人間誰しもが持っている原体験に立ち返らせてくれる時間だった。

甥っ子が生まれて間もなく会いに行った時、弟が「こうやれば胎内で聞こえる音に似ていて赤ん坊は落ち着くらしいよ」とレジ袋を一定のリズムでガサガサこすって、私も渡されたので一緒にガサガサ合わせてやっていたことがあった。あれはパーカッションのセッションだったのだなあと、生まれたての甥っ子の立場へと追いやられて涙を流していた私は気付く。孤独で傷ついていたのはブラームスライヒも一緒だったと思う。そしてそこからブラームスは絶望一辺倒に自分を追い込み、ライヒは絶望に立ち向かい『優しさ』とは何かを突き詰めたのだと思った。優しさを突き詰めてライヒが出した答えが『母胎』であり、それをこうやって表現したライヒに対してはマザコンとかそういう卑近なレベルでものは言えない。多分、この音楽に女性がたどり着いていたらそれは『母性』と語られる。でも男性であるだけで『マザコン』と括られる可能性もある。普段女性であるだけでそういう暴力はふるわれがちなので、女性が優位に立てる場所でそういう暴力の土俵に立ちたくないなと思う。こういった場合同列に語れるものはエヴァンゲリオンのエントリープラグあたりを引き合いに出して、男女関係なく子供と母親、という関係性になるはずだ。

マレット楽器、声とオルガンのための音楽からドラミングにかけては、胎内にいる感覚でいたので、包まれている空間に安心しきっており、時間の感覚など忘れてました。ドラミングの配置の入れ替わりと刹那刹那の音型の移り変わりがちょっとベジャールボレロみたい、と思っていた、それだけであとは無心に目の前で起こってることを見て聴いてるうちに終わっていた。ドラミングは視覚を含めて楽しんだ方が絶対いい。目にするものが全て新鮮に感じられた奇跡のような時間だった。
会場でライヒの曲のスコアを売っていて、いくつか見たんだけど、譜読みを少しするだけで頭が混乱してこれを演奏するってどういうことなんだろう?と思っていたのが、いざ実演聴いたら「そういうことか」と腑に落ちて、この体験を記録することの格闘や困難が込められていたのがあのスコアだったのかと、あれを解放するとこんな体験になるのかと、多分今だったら五線譜にああやって記録しなくても楽器を使わなくてもいくらでもああいう音楽は作れるはずなんだけれども、あえて五線譜に記録することを選び生音( それも木を使った楽器を中心に据えて)で演奏することにこだわり続けるスティーヴ・ライヒを私は大好きだと、愛おしくてしょうがないと思い、スタンディングオベーションで渾身のクラッピングを捧げたのでした。

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MILLE-FILLES

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私の格闘の記録の封印を解いてみたいという方がいたら嬉しいです。値段に釣り合う価値だけは絶対に作るんだと頑張りました。どうかよろしくお願いします。