モデルとの距離

 ブラジルワールドカップロッベン中心で見るぞ!とオランダの下馬評に震えつつも決めてたらとても楽しい大会になった。2010年南ア大会って1次リーグで日本とオランダ同じグループだったけど、日本戦にロッベン出てなかったから誰も覚えちゃいなかったのが悔しくて、今回やっと認知されて嬉しい。2010年の準優勝より今回の3位の方がよっぽど嬉しい。
 2006年から常々ロッベンのドリブルと高橋大輔のステップは私に同じような感覚を想起させると言ってきたのですが、「何それ?」と言われる前に「誰それ?」だったので、やっと説明できる入り口まできたと思えて嬉しい。これでやっとスピード感と上半身と下半身の使い方の特徴の共通点について、こってり話せるところまできた。
 あと、私のサッカーの原点は四中工の小倉*1なので、テレビを通してでもオグと一緒にオランダ戦を見れて嬉しかった。オグがオランダ対アルゼンチンのPKで「スナイデルかぁ…」と呟いて、その後スナイデルがPK外す、という出来事があり、あの呟き何?と思ってたら実況アナも気になったみたいで聞いてくれて、そしたら「なんか外すような気がしたんですよね」ってちょうオグ!オグのストライカーとしての嗅覚いまだ健在!って嬉しくなったというか泣きそうなくらいオグだ!って思いましたよね。
 6月7月は主にそんな日々を過ごしていましたが、合間に東京都美術館でのバルテュス展、KAATでのNoism『カルメン』、シアター・イメージフォーラムで上映していた『ヴィオレッタ』を観に行ったりして私にしては大変アクティヴでした。
 『ヴィオレッタ』で母親が娘のポージングに「バルテュスみたいよ!」とか言ってたシーンがあったんだけど、質が全然違うなと思った。バルテュスの視線って、成人男性が半裸であったりする少女を描いてるのにエロじゃないのがわかるんですよ。生で見て確信した。それに対して、母親がヴィオレッタを撮影するのは芸術を笠に着たエロで釣るための視線。でも、それよりげんなりしたのは、監督であるエヴァ・イオネスコが自分自身と劇中の少女の間の距離や違いをうまく取れていなくて、映画としての強度が非常に脆弱なものであったことです。演じていたアナマリアはヴィオレッタじゃないし、監督のエヴァヴィオレッタじゃない。そしてアナマリアはエヴァじゃない。ヴィオレッタを演じたアナマリア・ヴァルトロメイはそのことを理解しているようだったけど、エヴァ・イオネスコが全くそこが混乱していて映画のクオリティに影響している。正直、芸術作品としては完全にイリナ・イオネスコエヴァを被写体とした作品群の方が圧倒的に上。自分自身で整理がついてないものを整理がついてないまま出すというのは、映画監督としてはよろしくないことだと思いました。映画を撮ると決めたなら、もっと冷静に描写しないと完成度が低くなるし、役者は頑張っていたのに、ほとんどのモチーフの掘り下げ方が中途半端で消化不良。何のためにこの映画を作ったのかも映画単体ではよく伝わってこなくて、題材が題材なだけに、非常にもったいなかったです。だいたい、シド・ヴィシャスがなんで流暢にフランス語喋ってるんだ…そういう細部の雑なところとか気になりました。

*1:フィギュアスケートの原点はカタリナ・ヴィット、サッカーの原点は小倉隆史