線引き

先週のフレンズ・オン・アイス2014の1部放送見たら、やっぱり気持ち悪くなって、私はここに行かなくてよかったなと思った。

以下、米原万里が狐たちの「アウシュビッツ」、毛皮獣の養殖場に身を置くはめになった時のことを書いた文章。

 一メートル立方の高床式の檻に一匹ずつ銀狐や北極狐がつながれている。金網の床から黄色い液体がつらら状に垂れ下がり、糞が凍結したまま散乱していた。
 三月頃交尾して六月頃生まれた子どもは、この檻の中で六ヵ月過ごした末十二月から一月にかけて皮を剥がれる。ちょうど十二月中旬だったので、見渡す限りの雪原に四方に向かって果てしなく続く檻の列の中に点在する掘ったて小屋では、その作業の真っ最中だった。皮を剥がれた肉色の塊が小屋の外に山のように積み重ねられていた。微かに異臭も漂う。ミキサーで紛状に砕いて鶏の餌にし、その鶏は、狐たちの餌になるという。食物連鎖というには、そのサイクルのあまりの短さに息を呑む思いだった。
(『ロシアは今日も荒れ模様』166-167Pより)

ロシアは今日も荒れ模様 (講談社文庫)

ロシアは今日も荒れ模様 (講談社文庫)


動物愛護運動に関わっていたり、犬を多頭飼いしていたりする人々が、毛皮を剥ぐためだけに育てられている動物のことには鈍感であり、リアルファーをこれみよがしに着こなして見せつけて、それを楽しむグロテスクな空間には私はいたくなかったです。

私は、それが伝統文化であったり、生活必需品として毛皮が必要な地域の人々が着ていることは否定しないです。ただ、今回は、ファッション産業の享楽的なエゴにより殺された動物の毛皮を、防寒のために必要としない地域で何十万円というファッションの殺害のコストの宣伝を、なんでこの人たちはしているのかと困惑した。ファッションショー形式で見せられても薄ら寒いものだけを感じてしまって、その場にいても熱狂に耐えられなかっただろう。そのあとのスケーターのパフォーマンスに関しても、全く楽しめなかっただろう。事実、事前に情報を把握しつつ見ていたテレビ放送でも、オープニングにあてられてしまい、最後まで見たけど何も記憶に残っていない。ファッションのためだけに殺していい動物っているのか?
バンクーバー五輪からは客席の熱狂についていけなくて、現場からは遠ざかっていたけども、スケーター自体についていけないということはなかった。
今回は違う。それが、パフォーマンスの必然としてリアルファーが必要だったら私は受け入れる。だが、明らかにこれは違う。私たちの日常は意図的に屠殺の現実から遠く隔離されていて、だから例えばイルカの屠殺の現場を映画などで扇情的に公開されてしまうとそれに乗って扇情的に反応してしまう。でも、どの動物の屠殺場であっても等しく残忍だ。イルカの屠殺に憤っている人々の身近で牛や豚や鶏に対しても同じことは起こっている。そんな現実に多くの人が目を向けると食肉産業は産業として成り立つのだろうか。目の前に出された肉は全て動物の死骸だ。それが動物の死骸であることに無自覚にさせないと、都合が悪い人々がいる。そうやって私たちは死骸から食品へと認識を変えさせられ目を逸らしてゆく。「そうしないと世の中回っていかないものね」と物わかりが良さそうな顔を装って思考停止させられてゆく。これはファッション産業でも同じこと。肉食獣が動物の死骸を食べるのと、産業化した社会で動物の死骸から食品へと変化させられたものを消費するのはまったく意味合いが違うこと。
動物の死骸を食べることが今本当に必要なのだろうか、ということは私は常に考えるようにしている。全てを取り除くことは難しいし、例えば他者の家でもてなされているような時は、ここで動物の死骸を食べるのは必要なんだと思って食べるし、アスリートの肉食に関しても、身体を作るために必要だとは認識しているので否定しない。
そういった前提の上で、この見せ物はアイスショーに必要か?と考えた時に、私は必要ないと思った。必要ないどころじゃなくて不愉快なものだと思った。動物を愛しているはずの人々がなんでニコニコして身につけてるんだろうと悲しくなった。なんで誰も指摘しないんだろう、熱心に介助犬サポートをやったりしている現場にリアルファーを着ていけますか?と問う人がなんで周りにいないんだろう。被災地の動物は可哀想でなんとか救わなければならない存在でも、身につけている毛皮の元になった動物はそうじゃないんだろうか。私は特定の動物がすごく好きというわけでもなく、自分で飼いたいと思うこともなく、でも誰かの家にいても嫌じゃないくらいの人間なので、私の一線は越えられてしまったけれども、特定の動物や種類や境遇に思い入れがある人はまた線引きが違うのかもしれないです。

少なくとも私は、楽しみたくて行く場所で、無批判無自覚にリアルファーを着てはしゃがれても楽しめないので、しばらくアイスショーに足を運ぶことはないだろうと思いました。