さよなら渋谷

marginalism2015-04-07


 花散らしの雨が降ってやっと人心地がついてきたので、3月28日の観世能楽堂さよなら公演のことを振り返ってみます。
 私がその場所のことを知ったのは、当時90年代の渋谷系が元気だった頃、松濤エリアに迷い込んで仕方がないから散策していた大学生の時でした。能楽堂というものがない土地から上京してきたものですから、ちょっと裏手に入るとこんな寺社仏閣が渋谷にあるのか、とHMV渋谷で買ったCDとCDウォークマンを持ち歩きながら思ったことは憶えています。私が田舎で憧れてきた渋谷とは違う渋谷の顔でした。なんだか狐につままれた気分になって、目的地を探すことに必死になってその場から立ち去ったはずです。
 それから20年ほど経ち、私は自分から狐につままれに行くような人間になりました。以前、国立能楽堂で観た梅若玄祥師の舞と囃子方の芸に感銘を受け、何より能楽堂の作りのコンパクトで無駄のなさに和の真髄のミニマリズムが凝縮されていると衝撃を受けたので、また行こうとずっと思っていたのですけど、能楽堂での公演の日時がなかなか都合が合わなくて、やっと行ける日時の梅若玄祥師の出演する公演を見つけたらそれが観世能楽堂さよなら公演二日目夜の部でした。
 それが能楽界でどういう意味を持つものなのかをよく把握しないまま行きました。久々に渋谷の街を歩くと、私が知ってる渋谷の街ではなくなってしまっていて、能楽堂だけがそのままだったことに今度は安心しましたが、その安心させてくれた能楽堂移転のための公演だったとその場で思い出し、初めて「さよなら公演」の意味を飲み込みました。街はどんどん変わる。その変化に取り残されると移動しなければならない。なんだか子供の頃大好きだった絵本『ちいさいおうち』を思い出して、その場にいた他の人とは少し違うだろう感傷に襲われました。

ちいさいおうち (岩波の子どもの本)

ちいさいおうち (岩波の子どもの本)

 能楽堂に集うお客さんたちは、数十年通いつめていた雰囲気を醸し出す人が多くて、だけど土曜日の夕方の間延びした雰囲気も兼ね備えていて、卒業写真を撮るように写真をやたら撮っていたりもするけど、何も気負わない普段通りの人もいて、とりあえず私がいてもいいくらいの隙間はある空間でした。能楽のお客さんってもっと張り詰めてるのかと思ってたけど、さよなら公演の最終日じゃなかったからかな、割と緩めで少し気抜けして、割とどころかちょっと気が抜けすぎじゃないかと思ったのは、公演中に携帯音が何回も鳴っていたことでしょうか。それが明らかにガラケーの音で、ガラケー率の高さが年齢層を雄弁に語っていたように思えます。

 能のことを私は世界最小の総合芸術だと思って観に来たので、音が駄目だといらついてしまう。よくわからないものを観に行くと、私は音で判断しています。良い音を出せる人はだいたい芸や技がしっかりしていると思ってあまり間違いはありませんでした。なので、シテが梅若玄祥師の最初の演目「松風」を目当てに行ったのに、囃子方の笛と小鼓がひどくて、それが気に障ってシテ方に集中できませんでした。とにかくひどい音だった。
 私の記憶が間違っていたんだろうか、能の音楽ってこんなだったか?と思っていたら、舞台が進むにつれて後ろがうまくなっていったので、最近人間国宝になったからって嫌がらせか?なんか流派の中でのパワーバランスあるのか?とか思うほど最初ひどかったよ。

 全般的に芸のレベルが玉石混交でしたが、印象に残ったのは、人間国宝はだてに人間国宝じゃないということと、宗家や若宗家はそれとはまた違うものを背負っているんだなということです。この公演の狂言方野村万作・萬斎親子が出ていて、テレビに出る人はちょっと違う華を持ってはいるんだけど、芸としてはやはりお父上は人間国宝なだけあるなと。志村ふくみ先生の展示に行ったり桂米朝師匠追悼番組などで最近よく人間国宝の仕事に触れていたのだけども、人間国宝を選ぶ側が思っていたよりしっかりしているとよくわかった。
 
 そして宗家は芸がどうこうというよりまず存在感がすごい。舞台からこちらを圧迫してくる存在感。大黒柱としての責任感。背負ってるものが他の人と全然違う。その人が存在してるだけで意味があることがよくわかる。観世流の宗家ということは、能楽界全体を背負う存在だといって過言ではないわけで、人間国宝は何人かいても、宗家はたった一人なわけで、その意味が舞台に出てくるだけで説得力があった。私は歌舞伎のことはよくわからないし興味もないけど、市川海老蔵という人に求められてるのはこういうことかと思うと、それは大変なことだとよくわかりました。

 それで玄祥師も観たし、宗家の舞囃子も観たし、最後の「土蜘蛛」流す感じでいいかな、と軽く気を抜いてたら、途中でいきなり強く太く朗々と低く響く声が聞こえてきて、何事!?とあせって舞台を見上げたら、そこには凛とした美丈夫が立っていた。ワキ方が主役とばかりの勢いでシテ方の土蜘蛛を切った張ったの大立ち回りで成敗してた。その「生」の象徴としての舞台上での立ち振る舞いが素晴らしくて、何?誰あれ?と帰りの電車で必死に調べていたところ、ワキ方福王流若宗家の福王和幸師でした。やっぱり宗家筋の人って存在感すごい。

 この日よくわかったのは、狂言方ワキ方の意味合いですね。能というのは人をあわいに引き込む芸術だと思うんですが、あわいから現実に連れ戻してくれるのが狂言方の役割、彼らが客を笑わせることで客が正気へと戻って来る。これ狂言だけ見ててもわかりませんね。能とワンセットの芸なんだとよくわかった。狂言方が出てくる時は囃子方地謡も出てこなかったので、話芸としてここから落語が生まれてくるのもよくわかった*1狂言方の声はよく通るから「〜〜候」という発音が「そうろう」と「さぶらふ」の間くらいに聞こえて、なるほど、日本語の歴史として実際にそういう音を使っていた時期があったのだなというのが腑に落ちたのは思わぬ収穫でした。
 狂言方が能の世界から現実に人々を連れ戻す役割だとすれば、ワキ方は能の世界でつかみどころのない場所にいるシテ方をなんとかつかみに行こうとする生きた人間の役割だ。どこかにふわっと消えてしまいそうな面をつけた何かとの対比で生々しく人間じゃないといけない役割だ。福王和幸師が現世的な美しさで目を引いたのは役割としても当然のことだった。ふわっとした存在に戸惑ったり立ち向かったりする人間を演じなければならないワキ方は単純に脇役なんではなくて、演目によっては主役とされるシテ方より活躍することも当然あるんだろう。演じ手によってもそのバランスは変わってくるんだろう。
 結論としてはとっても面白かったので、梅若玄祥師と福王和幸師の出演する舞台はこれからも出来る範囲で追っていきたい。能楽ってとってもシンプルな分、一人一人にかかる責任の割合が大きくて、下手な人が出てくるとものすごく足を引っ張るんですわ。普及公演とか安いの観たって私はこの芸の魅力に気づかなかったと思うから、これからもし気になって行ってみようと思った人には、人間国宝か宗家が出ているものを選んで行ってほしいと初心者としてアドバイスしときます。あと能楽の客層のガラケー率と休憩時間のロビーに漂うせんべいの匂いは、なんだか少し落ち着きます。着物の人がちょくちょくいるとかより、そっちの方がどういう人がきているのかよくわかる。

*1:ちりとてちん』で狂言師を落語家の役に抜擢した意味もよくわかった