日中友好会館にて

後藤田正晴先生の一般弔問にぶらりと足を運んでから時間は結構経っていますが、今更ながら覚え書きをしておきたいなあと思って、やっぱりうまくはまとまらないのだけど、書くだけ書きます。

後藤田先生の遺影と向かい合って随分と励まされたような気がしました。かつてカミソリ後藤田と呼ばれた人は、私達を守るためにカミソリという異名を持っていたわけで、でも、なんだかかっこいいまんま旅立たれてしまったなあ、とか、そんなねえ暢気な状態じゃないんですけど、少数意見を勇気を持ってはっきり述べる事は私が後藤田先生から受け継ぐ事ができる性質かな、と思う。私はあんな切れ者ではないけど、ただ愚直に自分に嘘をつかないで生きる事はできる。そのための勇気を分けていただいた気がします。

帰りしな、徳島新聞で奥様がコメントしている記事のコピーをいただきました。 web上にはあがっていないようなので書き写して引用します。

 県民の皆様には、主人が九十一歳まで大変お世話になり、ありがとうございました。心より御礼申し上げます。
 このたびの経緯を申し上げますと、八月の都内の病院での定期検診で肺に小さな影がみつかり、担当医より安全な検査という事で、八月二十三日に(気管支鏡による)検査を受けました。
 ところが検査により肺炎となり、経過が思わしくないため、三十日に順天堂大病院に転院いたしました。順天堂の院長、教授をはじめとする医師団総出で治療にあたって下さいました。
 医師も驚くほどの生命力で最後まで意識もはっきりしており、日本の将来を大変危惧(きぐ)しておりました。平和への強い信念があり、晩年は日中友好に尽くさせていただきました。八月中はテレビ、講演と元気にしておりましたのに、こんな事となり大変残念でございます。
 極めて遠慮深い主人で、権力は狂気になると申して権力を欲しがらない人でした。それなのに今日までやりがいのある人生を歩ませていただきましたのは、徳島の皆様のおかげでございます。 
(2005年9月23日金曜日の徳島新聞より)

改めて合掌。