同じことをやっているのに

ハチミツとクローバー』のアニメを見ていると、毎回セリフも展開もかなり原作に忠実なのに、漫画から受ける印象とどうしてこんなに違うのかなあと考えるのですが、やっぱり作り手の性差の問題なのかなあ、と、それ以外の可能性も探るのだけど、結局いつもそこに戻る。

今回、竹本君がはぐちゃんの流した血を水で流すというシーンでとてもそれを感じて、ハチクロ9巻のchapter.57を読んだ時には、純粋に『好きな女の子が大怪我したというのに、こんなことしかできない僕』という意識しかあのモノローグからは感じなかったのですけど、アニメで見ると、『普通好きな女の子の血が流れるのを見るのはこんなタイミングではないはずなのに、なんで俺は』みたいなメタファーが滲んでるんですよね。これは双方意識的にやっているのか無意識下でそうなっているのかわからないのですけど、chapter.57の扉絵がオフィーリア(id:sitebbiwさんが指摘してて、あ、と思った)だというのを考えると、羽海野さん側にはあまりそういう意識がないような気はする。

9巻の表紙ってなんで真山と野宮が将棋差してるのか、連載追い派じゃないとわかんないすよね(コミックス未収録回に真山が将棋にハマるエピソードがあったのです。10巻に収録されるのかな)


ハチミツとクローバー 9 (9)

ハチミツとクローバー 9 (9)

オフィーリアはここらへん参考にどうぞ
代表的な絵:http://www.salvastyle.com/menu_pre_raphael/millais_ophelia.html
色んな絵:http://www.ne.jp/asahi/art/dorian/Subjects/Ophelia/Ophelia.htm
逸話:http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/001223.htm


以下余談。
また高橋大輔さんの話になりますけど。
私、昨シーズンの高橋さんをJICからずっと見てて、途中まで、絶対この人にハマったらヤバいことになるヤバいことになると、なんとか欠点を見つけて落ちないように、だってハマったらオフィーリアやジゼルのように狂って、下手したら命を落としてしまうほど思い詰めて好きになってしまいそうで怖くて、だからハマらないようにと頑張っていたのですけど、やっぱり目を離せなくて陥落してしまって、今はもう仕方ないから行く所まで行ってやると追っかけ回してるのですけど、来シーズンかプレ五輪シーズンのあたりに、一度ギリシア悲劇シェイクスピア悲劇をフリーでやって欲しいなと思ってます。どういう音楽使えばいいのかわからんけどさ。そんで、そういう時にショートプログラムでラベルあたりの音楽表現どうすんの?ってやつをやって欲しい。「音楽に入り込む」って高橋さんよく言うんだけど、入り込む余地がなさそうな曲であえてどう滑るのか見てみたい。五輪シーズンはモロゾフとがっちり組んでまた王道曲でやって欲しいんだけど、その前にちょっと村主さんのピンクパンサー的な(ああいうコミカルな方向性というわけではなく、冒険作という意味での)異色プログラムが見てみたい。ニコライ・モロゾフと組む前の高橋大輔はやっぱりピンとこないのだなあ、今はずっぽりハマってるからそういうもの見てても楽しいんだけど、私が惹かれたあの暗さは前面に出てないのだよね。絶望的な暗さが、まだ引き出されてない。この人は暗くなれば暗くなるほど美しく輝くから徹底して暗いプログラムが見たいなあ。今までに類を見ない陰惨で壮絶な暗いプログラム。

オフィーリアのことに触れてるし、確か松岡和子さんの翻訳って読みやすかった記憶があるから、自信ないけどとりあえずこれをおすすめしておきます。


シェイクスピア全集 (1) ハムレット

シェイクスピア全集 (1) ハムレット