サンジョルディの日通年営業

marginalism2006-08-22

今気付いた。海外から帰ってくる人にCOCO MADEMOISELLE買ってきて、と頼めない事に。アメリカとイギリスからだと今飛行機に液体持ち込めないんですよねえ。香水って定番のお土産なのにねえ。貧乏風呂無し定職無し来月で30歳の私ですけども、香水はシャネルのものなんかを生意気に使わせていただいております。フランス人は風呂に入らんもの、という都市伝説を吹き込みながら使わせていただいております。本当は奴等きちんと風呂入るよ、風呂入るつうかシャワー浴びてるよ。

そんなことはいい。

気付くと映画の事を書いているくらいの手癖で私は他人に本をあげてしまいます。プレゼントはだいたい本、なんも考えないでいると十中八九本。無意識に本。プレゼントを選ぶ=本を選ぶ、みたいになってる。赤ん坊に対しても友達に対しても好きな選手に対しても老人に対しても本。というか、プレゼントに貴賤無く、誰に対してもざっくばらんにフレンドリー過ぎるきらいがある。これはきっと私が子供の頃から自分の好みじゃない本を贈られてはうんざりしていたので、私の好みはこういう本ですよこっから推理してくださいよどう考えてもそれは読むわけねえだろだからわかれこの本を渡した意図を読み取れ、という自分のエゴの押しつけと、誰かの顔を思い浮かべて、今この本は私よりあの人に必要だろう、と思うとすぐ渡しにいってしまう長女的小さな親切大きなお世話が入り交じった厄介な癖なような気がする。本を読まない人はいない、という前提に立ってるのがなんとも厄介。最近はそれに加え、ざっくばらんに手編みのものを渡しそうになるので、それは流石に色々誤解が生じてしまいそうなので、友達の子供に編みぐるみ程度で止めていますけども、千羽鶴折ったり、編み物したりするのが楽しくてしょうがなくて、でも、千羽鶴なんかさあ、なかなか渡す機会ないじゃん、誰かが怪我したとか病気になったとか聞くと、これで千羽鶴折れる!と思ってちょう張り切るんだけど、それはそれでひどいですよね。

だって花ってもらっても困る。枯れたら捨てなきゃいけないし。捨てるのって燃えるゴミでいいのかなあ、燃えるゴミに出すの罪悪感がある。でも庭とかコンポストとかそういうのもないしなあ、と頭を悩ますので、それだったら私は本の方が処分楽だわ、と思ってしまうので、ついつい本になる。

メガネと本が手元になければ、私は何にもできないなあと今突然切実に感じた。誰かの家に行くと、その人の部屋から自分の趣味に合う本を探し出さないと落ち着かないんです、私。本が少ない部屋だと自分の趣味と合う本があっても心のどこかでは落ち着かなくて。人付き合いでも「この本貸して」と言えるレベルの関係じゃないと落ち着かない。どこにも本がない風景を想像したら発狂しそうになった。なぜこれほど執着しているのかちょっとわからない。でも、私以外の人に聞いたらあっさりと原因がわかりそうな気もします。同級生には私が思っていた以上に口々に「お前はいつも本を読んでた」と証言されるので。そういえば親にも言われた、「小さい頃は弟にちょっかい出して、それにあきると本を読んでた」って。