音楽ジャンルに貴賤なし

marginalism2006-09-03

なんとなく『N響アワー』見てたんです。PMFの会場懐かしいな、とかそんなぼんやり加減で見てたんです。確か全道大会直前とかに芸術の森で練習したことあった気がする、あそこでピクニックコンサート見れたら気持ちいいだろうな、とか、相変わらず北海道の夏は清々しそうだとか、バーンスタインがこの音楽祭始めた時のこと妙に私覚えてて、この後すぐ死んじゃったから余計に覚えてて、バーンスタインが北海道にいるのテレビで見てて現実感がないけど嬉しかったことが胸に焼き付いてて、そういう思い出に浸りたいじゃないですか。
でも、そのまんま流してたらN響吹奏楽の編成で『アルメニアンダンスPart1』演奏し始めたんですよ。で、それがひどかった。まさに「仏作って魂入れず」だった。技術的にはそれはもう上手なんですよ。上手なのわかりきってるけどさ。でもね、演奏者がね、吹奏楽馬鹿にしてるのが伝わってきてね、自分の中に眠っていた吹奏厨が噴き上がってね、オケがなんぼのもんだと。お前等の大部分が、その馬鹿にしくさってる吹奏楽出身だろと。自分の中に吹奏厨としてのプライドが眠っていることに驚いたんだけど、だって、私もオケより吹奏楽の方が低いんじゃないかと思い込んでたから。だけどそんなことはないです。決して劣ってなんかないです。あんな演奏より中学生高校生の魂こもった演奏を私は愛します。そんでまたね、現場にいる吹奏厨がN響のあの演奏をありがたがってるのに更に腹が立ってね。ブラボーって、お前は何を聴いてるんだ、技巧的なものしか聴こえてないのか、と、ああだから私はここから早く出たかったんだと。
吹奏楽関係者ってはっきり言って民度低いの。だからねえ、私、こんなとこから早く出てやるって思ってたの。もっとマシなレベルで話とか人付き合いとかしたかったの。あの経験は今でも生きて行く上で私の根幹になっているとは思うのだけど、戻りたい場所ではない。ずっとあそこにいたら成長しないと思ってたから、根腐れ起こすと思ってたから、だから高校までと期限切って早く足洗いたいシャバに出たいと思ってた。中途半端に投げると余計ひきずりそうだから、きちんと卒業して引退してやめようと思ってた。好きだ、なんて思ったことなかった。巻き込まれるようにやらされて、でも負けず嫌いだけを発揮して最後まで続けただけだと思ってたことにこんなに自分がプライドもっていたとは思ってなかった。
毎日殴られたり蹴られたり怒鳴られたりどつかれたりしながら、それでも食らいついていたのは、本当にひとえに私が負けず嫌いだったからだと今でも思っているのですが、あの頃私達を指導していた側の人々の歳に追いついて思うのは、あんなの愛情がなきゃやれないことだよなと。私達はものすごく愛されていたのだよなと。愛がなきゃわざわざ私達のサイズに合った手間のかかる編曲なんかやらないよなと。オーダーメイドのロマンチックな服を剥き身の私達のために拵えてくれたその手間暇を考えると、自分にはとてもやれないなと思って、ただただ畏敬の念に頭が下がります。それこそ「読書するカミーユ」を作ってもらってるレベルで愛されていたのだなあと思う。そして、私達の音楽はCOCO MADEMOISELLEの香りや色のイメージそのままだったと思う。だから私はこの香水を選んだのだと思う。恩師はそういうものを私達の身に纏わせてくれて、温かく護ってくれていたのだと思う。私がこの香水に温もりや安らぎを感じた理由は高校生の頃の自分達の演奏をビデオで見返してよくわかった気がした。

(右上の写真は新しいCOCO MADEMOISELLEの顔になるらしいキーラ・ナイトレーです)