ブンガクやりたいならよそでやれ

人様の日記で見てびっくりした。天声人語に何が起こってるのか。この詩とも文学とも批評ともつかない文章はなんだ。そして何よりも大事で新聞メディアとして致命的なのはこの肉体的実感に基づかない珍妙な文字の羅列が全く何を訴えたいのか伝わらないということ。団塊親父が頭の中でこねくりまわすとファンシーでゆだった珍妙なひとりよがりのポエムが生まれる率が高いと常々思っているのですが、これはそれの最高峰だよね。事件だよね。金字塔打ち立ててるよね。コラムニストの人は羞恥プレイでも命令されたのだろうか。
新聞メディアは時間が経つとweb上から記事が消えるから全文引用しておくよ。

http://www.asahi.com/paper/column20061018.html
 ここはどこだろう。まっくらだ。ワタシがだれなのかもわからない。まわりには、ワタシのようなものはいないようだ。これから、どうなるのだろうか。

 てがかりは、とおいかすかなきおくにしかない。いつかどこかで、ふたつのものがあわさってワタシというものがはじまったようなのだ。まだみてはいないが、このそとには、せかいというひろいところがあるらしい。そこには、オトコといういきものとオンナといういきものがいて、それがであってあたらしいいのちができる、ときいたきおくがある。

 ワタシは、ひにひにおおきくなってきた。せまいこのばしょではきゅうくつだ。そろそろ、せかいのほうにうつるころなのだろうか。

 「カッパ」といういきもののせかいでは、そとへのでぐちで、きかれるそうだ。アクタガワリュウノスケさんによると、チチオヤが、ハハオヤのおなかにむかっていう。「おまえは、このせかいへうまれてくるかどうか、よくかんがえたうえでへんじをしろ」。「いやだ」といえば、でなくてもいいらしい。

 あれあれっ、そとへおしだされそうだ。すごいあつりょくだ。だれも、でたいかどうかきいてくれない。きかれても、なんといえばいいのかわからないが、きかれないのもちょっとさびしい。

 ついに、そとへでた。ひかりがまぶしい。あたらしいせかいのはじまりだ。からだに、ちからがわいてくるようなきがした。ワタシをあのくらいところではぐくんでくれたオンナのひとが、ワタシのハハオヤのハハオヤだとは、まだしらなかった。

これって50代女性が娘の代理母になって出産したっていうニュースをとりあげてるってことでいいの?それを批判してるの?肯定してるの?これはひどい。本当にひどい。この破壊力に自分の文体すらひきずられそうになる。きちんと向き合ってどこがどうおかしいか指摘しようとしたけどギブアップ。もう5秒と持たずに目を伏せてしまうもの。朝日新聞っていつから一面がチラシの裏になったのかしら。