あんなこともこんなことも読んじゃうピエールさん

marginalism2007-01-11

テレ東の浅田真央特集をこの前たまたま途中から見てて、ナレーションの人がとてもいいなあと思って、誰だろうなあと思って、そしたらテロップ出て「ナレーション ピエール瀧」だって。電気グルーヴのオールナイトニッポン育ちですから浅田真央ピエール瀧のコラボに胸を打たれた次第です。
胸を打たれたついでにまおびるのまおりんくもちらっとのぞいてきました。仕事で丸ビルの近くいったついでにエアロスケートリンクで滑ってみようと思っただよ。でも滑らせてもらえんかっただよ。テニスコート一面くらいの大きさでせせこましく30分500円でみんな滑っておったよ。16歳の一人の女の子の経済効果をちらっと考え、真央ちゃんえらいなあと思いまんた。汚い大人です。
でも即座にそろばん玉弾いた汚い大人はそれと同時に子供の頃からの淡い夢が「ロックフェラーセンタービル前のスケートリンクに仕事帰りに滑りにゆくこと」だったので、丸ビルにこんなリンクが期間限定でちんまりだけど出現したことにとても感動したということも付け加えておきたいです。感動ついでにエアロ買った。ネスレのチョコが好きなんだもの。踊らされてないもの。いや実際そろばん玉なんか弾けない。そんなの私より容易くできる人に任せてる。なんで子供の頃に仕事帰りにロックフェラーセンターに行けるかなんて考えたかってちびこい頃の将来なりたい職業は国連職員(できればNY本部勤務)というこまっしゃくれたガキだったからです。小学3年生くらいの時にそういう作文書いた記憶があります。

近況:年末年始はクラシックの地上波放送とフィギュアスケートの地上波放送と仕事に忙殺されてそれ以外の時間寝込んでたよ。SOIツアーは1月初旬の北海道からその日のうちに移動で次の日大阪で公演なんてよくもまあそんなバクチをと思ってたけど、よく飛行機とんだね。よく公演キャンセル出さなかったね。1月7日前後って毎年雪で飛行機とばない日あるからね。それで年末のうちに卒業制作も副論も仕上げて実家かえってのんびり正月すごしてあと提出するだけだわー、と年末年始返上で泣きながら卒業制作や論文やってる友達尻目におせちやお雑煮食ってたら提出日までに飛行機とぶかどうかわかんなくて汽車で東京いかないと提出できんで留年かもってえー汽車も強風で止まってる!?、という目にあった私は企画した人の無謀さにあきれてたんでした。
ウィーンフィルニューイヤーコンサートはズービン・メータが振るといつものウィーンフィルの音だったなーと思って、その前の年のマリス・ヤンソンスほどのインパクトはなかったですけど手堅く楽しめました。フィギュアブームも相当だけどクラシック界のだめ特需も引けを取らないなあと思ったよ。
で、そのブーム二つがもりもりあわさってたのがメダリスト・オン・アイスでしたけど、とにかくスケーターの皆さんもオケの皆さんも松田様(のモデルの指揮者の人)もお疲れさまですと、それしかなかったですねえ。現地にいたわけじゃないのでよくわからんですが、オケの人たちはチューニングさせてもらったのかなあ。あの環境でほぼスケーターとの合わせのリハなしで演奏って色物企画とはいえ過酷な状況だなと。私は木管楽器出身なので、楽器が心配で心配でたまらんかったです。そんでスケートリンクで第九と威風堂々とラデツキー行進曲を一気にまとめて演奏するつう年末年始のクラシックお約束を無理くり詰め込み+スケーターがそれに合わせて滑ってるのを見られるなんつうとち狂ったイベントが今後近場であったら話のタネに行こうと思いました。このひどい詰め込み方を咀嚼して楽しめる人間でありたいです。

まおびるのまおりんくの写真はあとで追加します。これから出かけます。

滑ろうと思って申し込みにいって並んでる時に撮った。


滑らせてもらえないからカフェの方に回ってみたけど、こっちも混んでた。


エアログッズのショウウインドウもおさえてみました。


楽しそうな人々がうらやましかったので2階にあがって眺めてた。


エスカレーター脇の方が見やすそうだったから移動してみた。


4階にABCが出来たということでそっちをひやかしにいったけどたいした釣果もなく更にめめしくスケートリンク見下ろしたら製氷中でした。


上に真央ちゃんの垂れ幕みたいのあんの。リンクと一緒に一応おさえた。


再び2階のエスカレーターのところに移動して、こっから降りたれと


そんで降りてる途中に未練がましく撮った。
さっき調べてみたら真央ちゃんと同じエスカレーターで降りてたので一矢報いた。
参考:http://journal.mycom.co.jp/news/2007/01/09/390.html