渋谷系的記号論

「渋谷」で「元東大」の「小沢健二」が「山田」を殺害。

入試センター係長が交際女性刺殺

 6日午後7時10分ごろ、東京都渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターの一階ロビーで、非常勤職員の山田美香さん(26)が包丁で刺される事件があり、警視庁代々木署は同日、殺人未遂の現行犯で大学入試センター係長小沢健二容疑者(43)を逮捕した。山田さんは7日未明に死亡した。同署は殺人容疑に切り替えて追及する。

 調べによると、小沢容疑者は山田さんを待ち伏せし「殺してやる、許さない」と叫びながら首や腕などを刺した疑い。「殺すつもりはなかった」と供述しているという。

 青少年総合センターによると、山田さんは上司の男性(47)らと3人で職場を出た直後に襲われた。6日は休館日で利用者はいなかった。

 小沢容疑者は元東大職員。現在は大学入試センター法科大学院適性試験を担当している。

 山田さんは昨年まで大学入試センターに勤務し、小沢容疑者が離婚した前後の約3年前から交際していた。今年1月ごろに山田さんが別れ話を持ち出し、職場には6日、小沢容疑者から3回電話があったという。

 大学入試センターの荒川正昭所長は「ご家族、関係者に心からおわび申し上げる。処分については警察の捜査に従い適切に対応する」としている。

http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20070307017.html

そんで、ボードリヤール死去。

仏の哲学・社会学者、ジャン・ボードリヤール氏が死去

 【パリ=島崎雅夫】独自の視点で消費社会などを批評したフランスの哲学者で社会学者のジャン・ボードリヤール氏が6日、パリの自宅で死去した。

 77歳。死因は未公表だが、長期間にわたり闘病生活を送っていた。

 1929年、仏北部ランスの農家に生まれた。パリのソルボンヌ大学でドイツ語の教授資格を取得。ドイツ語教師や翻訳家として活躍し、パリ大学ナンテール校で社会学を教えた。マルクス経済学やソシュール言語学記号論などをもとに社会記号学を打ち出した。

 「物の体系」(68年)や「消費社会の神話と構造」(70年)などの著作で、ブランドなどの記号に左右されがちな消費者の動向を分析して、消費社会の特質を指摘し、反響を呼んだ。91年の湾岸戦争の際の論文「湾岸戦争は起こらなかった」では、遠隔地で起きている戦争がマスメディアによって同時代の出来事として伝えられたものの、なかなか実態が把握できない「仮想現実」を描き、現代の戦争の特殊性を解説した。

 著作は他に「象徴交換と死」など50点以上。写真家としても活躍、日本でも作品展を開いた。写真論に「消滅の技法」がある。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070307i515.htm

90年代、いや20世紀は本当にもう終わってるんだなあとしみじみ。

岡崎京子小沢健二西原理恵子のグランドトラインによって成り立っていた私の内的部分にもそりゃ変化は起こっているはずだと。オリーブ少女博徒だった私は消費社会に対するアンチテーゼにとりつかれアウトロー無宿者になりかけるも住所を失いそうになった時にやっぱり無理だと悟り悶々とする日々が訪れ、とかそういうのをつらつらと語るほど若くも老いてもいないしそもそもこのストーリーには脚色が入っている。
オリーブ少女アウトロー博徒なんて両立できないんですよ。
フェリーニの『道』なんて誰も見てない、とフィギュアスケート記者3人のみが言い切ってましたが(そういうことになっているけど、このムックの裏側の事情も垣間見えるので、直接糾弾することは私にはできないです)、そんな誰も見てない『道』を見て、自分、アウトローな旅芸人無理かも…と「プチブルお嬢」という自らの本質をその映画の中にあるものとの比較によって照射された時の衝撃はよく覚えてます。そしてサイバラが『道』をネタに自分をジェルソミーナ、おちょくる相手をザンパノに見立てたのも非常によくわかった。
それで、私はフェリーニは最も世界に知られたイタリアの映画監督だという認識をもっていたので、トリノオリンピックシーズンに恩田美栄陣営が『道』をフリーに選んだのは妥当だと思ったし、恩ちゃんのキャラクターとジェルソミーナはよく合っていたと思った。英断だとすら思った。イタリアもので考えた時、これ以上ハマるキャラクターはなかったと今でも思うよ。
ここの『道』の感想面白い。あとザンパノはジュベールがやればいい、と思った。
http://www.interq.or.jp/aries/jeldie/kotoba/yokogakimiti.htm


競馬場の居心地がよかったのは過去の話で、今はもうあそこは私の場所ではない。雀荘もしかり。
でも、確実に私の青春はそこにあった。他の場所にもあったけど、そこにもあった。
この体験があるから本当は私はフィギュアスケートにこれほどハマりたくなかった。本当に惚れ込んだ馬が現役を引退した時に私が感じたことをフィギュアスケートで再体験したいとは思えなかった。
もうずっぽりハマってしまった今そんなこと言ってもしょうがないけど、私は今フィギュアスケートを見ることが本当に楽しくて、そしてこの競技に関してはオリーブ少女的感性との両立は可能であるかもしれないから、そこにかすかな希望を持っています。
3年は大丈夫、私だいたい3年周期だから。だからバンクーバーシーズン後に身の処し方は考えればいいやね。