本当に怒っている

私が選挙が大好きなのは、選挙が人を殺さない、人間同士が殺し合うことを回避するために発明された装置で、これは人間の英知だと思っているから大好きで、政治は人を殺すけど選挙は人を殺さないから大好きで、スポーツを見るのが好きなのもほぼ同じ理由なんだけど、とにかく最初の形は人と人とが殺し合ったり傷つけ合う行為だったものが洗練されて今の形までたどり着いたということに連綿と続く人類史の中でも人間の文化とか知恵とかがぎっしり詰め込まれていてかつ身近で楽しめたり参加できるものだと思っているから好きなのです。
人を生かすために選挙があると思っている私にとって、長崎市長が選挙期間中に銃撃されて死亡したということは、悔しくて悲しくてつらくて腹が立って、選挙が自分から遠いところに持っていかれたら嫌だなとも思って、そしてこの混乱の中国会では少年法改正案がするっと衆院通過していて、これにもまた腹を立てて、国民投票法案もそうだけど、政治はよくこうやってひっそりとばれないように合法的に人を苦しめたり殺すことが可能になるように物事をすすめるから、だけど私はそれが嫌だから対抗手段としてとにかく選挙に行く。
本当に「血みどろ」になる選挙戦なんて嫌なんだよ、なんでこういうカテゴリ名にしてるかってそれはさあ選挙では既に文字通り「血みどろ」になるなんて思っていなかったから、過去の経緯を忘れないように、そういうところからここまできた、と色々な選挙戦術や戦略をみて感慨をこめて思っていたからなんだよ。あくまでも「血みどろ」は比喩であり続けてほしかったんだよ。選挙期間中に病気で倒れる、というのはつらい出来事だけれど仕方がない、と思える。が、銃撃なんつうのは言語道断だ。もう本当に選挙という発明を冒涜されて腹が立つ。人を殺したくないし殺されたくないと思っている人が私以外にもいるなら、まずはとにかく自分の意志で選挙に行きましょうよ、と思う。創価学会に代表される組織票が意味をなくすのは自分の意志で選挙に行く個人の数が増えた時だから、だからみんな選挙に行きましょうよ。
なんか、こわいんだ。私が比喩だと思っていた「血みどろ選挙戦」があっけなく現実になってしまったから、もしかしたら当然あり続けると思っている「憲法9条」というものもこんな風にあっけなく消えていくかもしれないと思ったらこわくてたまらないんだ。私、この条文がなくなる日本なんて想像したことなかったけど、それは現実としてあり得るんだとわかってしまったから、こわくてたまらないんだ。私は思春期に一人で憲法条文を読むことで励まされていたから、希望をもっていたから、人格形成に組み込まれているから、ある意味宗教的な心持ちを抱いて大事にしているものだから、これがなくなると思っただけでこわくてたまらない。
今の内閣はさくさくと合法的に人殺しをできる手段を整えている。彼等の思惑が達成されてしまうのか私たちの力でそれを止めることができるのか、もうのっぴきならないところまできていて、今週末の選挙で政治家も市民も最後の調整をするのだけど(今週末の選挙はいわゆる「調整試合」です)、その後の大一番、夏の参院選で彼等の思惑に対してダメ出しをできなかったら、私は今のところこの国が好きだけど、もしかしたらこの国に居続けることをあきらめなければならないかもなあとすら思っています。選挙でダメ出しができなければ、彼等の勢いを止めることはまず無理だろう。憲法が変えられたら私は何をよりどころにしてこの国を好きだと言えばいいのか。文化や芸術や言葉などまあそりゃ色々あるけれど、中心に日本国憲法がなければ虚しくなってしまうと今切実な想像をしてやっと気付いた。

余談だけど、なんで公明党の大臣枠が国土交通大臣なんだろうと、坂口厚生労働大臣が辞めた後てっきりそこらへんか文部科学大臣あたりに入るもんだと思っててちょっと疑問だったんだけど、ヒューザーとか一連の耐震偽装問題が出てきた時に納得しました。あそこらへんの話はとんときかなくなったがどうなってるんだ。

更に余談だけど、長野五輪の時、なんで実績もないエレーナ・リアシェンコをあれだけキャンペーンで使ってたのかと思っていたら、本当はオクサナ・バイウルを売り込んでいたけど彼女がアマチュア復帰しなくて目論みが狂ったという話を読んでやっぱり納得した。(エレーナ・リアシェンコとオクサナ・バイウルは共にウクライナフィギュアスケート選手なので、同じ国の若手に引き継いだってことなんだろう)(長野五輪ってアムウェイがスポンサーやっててびっくりしたんだけど、あれは冬季五輪だったからロクなスポンサー集まらなかったんだろうか)

アメリカの銃撃事件に関しても思うことはあるけど、それは他の国の文化についてうかつなことを言えないなあという気持ちがあるのでまだうまく触れられない。ただ、親戚や友達がいるから在米コリアンやアジアンの肩身が狭くならなければいいなあとは切実に思う。