エアポケット

今回、東京ワールドが終わった直後に思ったほど燃え尽きたり抜け殻になったりはしていなくて、この程度で済んでる、私経験値あがったんじゃないか、などと思っていたのは幻想で、切れ目なく選挙戦が続いていたからで、それが一段落した今、思いっきり燃え尽き症候群で抜け殻になってます。よぼよぼとJ2の結果見てたら暫定じゃなく首位なので平塚まで行こう!と思った瞬間にたまりたまった疲れに飲み込まれた。
なのでどうでもいいことばかり振り返ったりしてる。以下ほんの一例。と思ったけど結局増えた(基本敬称略)。
・「キッズ・リターン」の有名なラストのあたりを思い出して、そっからストーリーを頭の中でさかのぼってみて、あの二人ではなくあの二人のクラスメイトにたいして面白くもない漫才をやってる奴らがいて、監督は自分の姿がそこにあるみたいなこと言ってた記憶があるんですけど、リアルにクラスメイトに面白くない漫才を見せられたことがあって、そのつまらなさに私は疲弊していたのに、そのクラスメイトが今や超売れっ子なんだけどやっぱり私には面白さがわからない、ねたむとかうらやむとか以前にまずやっぱり双方変わっていないことになぜか安心していたりする。
・我那覇とか中村憲剛の顔が「いい男」というか人間としてではなく、キャラクターというか南方の島で木彫りのお守りについている顔っぽくて見ていて飽きない。ああいう顔の男の人をついつい凝視してしまうんだけど、造形が面白くてみていて楽しい。あの造形の面白い顔に囲まれている関塚監督は楽しいかなあとレッズvs.川崎Fとか我那覇のドーピング問題(これかわいそう)とか話題になる度思う。武蔵小杉の友達の家まで歩いてるとフロンターレのポスターがいっぱい商店街にはってあるのでなんだか愉快な商店街だといつも思う。
・個人的に、キム・ヨナの転倒の仕方にサーシャ・コーエンを、キミー・マイスナーの上半身の動きとスパイラルに村主章枝を見たワールドであった。ヨナをみてサーシャを、キミーを見て村主を思い出したのが自分でも意外だった。
・ヨナのスケーティングが今のトップクラス女子では一番好きだ。今のところ足下のよいサーシャや由希奈だと思ってるけど、今年17であの腰は今後のキャリアを見据えると心配。
・ヨナのことを考えていたらサーシャと由希奈が自分の中で同じ分類になっていたことに気付いてまず驚いた。
・ワールド後の私が尋常な状態じゃなかったのは、女子観戦中やバックステージの高橋メガネ装着姿を目にしてても特に付加価値を見出さなかったこと。「あーメガネかけてる泣いてたから目もはれてんのかねー」でスルーしてたって、ちょっとそれおかしすぎだろ。この!私が!メガネを!スルー!ありえねえよ、マジありえねえよ、選挙スルー以上にありえねえよ!ありえないけど事実は事実なので厳粛に受け止めなければならない。
・ごく個人的な感覚での日本人スケーティング分類。北米系→村主、織田、浅田真 欧州系→荒川、高橋 佐藤系→小塚、中野、安藤(ただ年々ストロングエッジになってってるような)(今季格段にスケーティングがよくなったジュベールと逆で)
・村主さんは佐藤組なのに意外と佐藤組ぽい個性のスケーティングじゃない気が。
・荒川さんもそうか。二人ともある程度スケーティングが出来上がってからの佐藤組だからか。
・醍醐組と神宮組は練習環境の影響がモロに出ているのがスケーティングだと思う。ホームリンクが無かったりうまく練習スペースを確保できないって一番足下にくるんだなあと。
・小塚の足下にある魔力はなんだろうね、あれこそ「赤い靴」のように自分の意思とは無関係に足が勝手に滑っている感じ。
ソルトレイク組ではティモシー・ゲーブルが男子では一番好きでした、この前見返したら足下はよかったです。ステップシークエンスと足下のよさは比例するわけではなく、私はステップシークエンスが好きなんじゃなくて本当に足下がうまいのが好きなだけなんだと。今大学生のクワドキングが人生エンジョイできていたらいいなと思います。
・足下好きではじめにジャンプありきとは思っていなかったからこそ、今季ジャンプの重要性を認識した。シングル選手である限りジャンプが飛べてなんぼだと痛感した。飛べないと足下も存分に満喫できない。
・ですが、ボナリーとかチェンジャンとかドムニナ・シャバリン組(ダンサーとしては足下荒々しいよね)みたいな人たちも好きなのでした。個性が暴れ馬系の人たちは嫌いになれません。
・チェンジャンは暴れ馬というよりも孫悟空系。カンフー大好きだった。
・結局スケートのことばかり書いてるな。
ジュベールの滑りが見違えるようにうまくなっていたのに驚いたんですよねえ。スピンとスケーティングは1年でこんなに上達するのかと。全ての要素で取りこぼしがない、それがチャンピオンなんだなあと。
・だって、おま、それ、ツイズル?って、私、オペラ座のCiSt入る直前のアップライトスピン好きなんだけど、それはトラベリングってレベルじゃねえぞ!と現地で思ってたよ。動画でシチズンの看板と照らし合わせると、ねえ。
・ツイズルはツイズルで好きだ、が、それとこれとは話が別だ。
・デロベルの体型にあらゆる意味で親近感を覚えていたのに本物はテレビで見るよりずっとシュッとしてた。今季のFDほんと大好きで、あの衣装もビッとしててかっこよくて、ハードボイルドなスケートってあんまないなあとも思って、えっとー、なんか、すごいよかったです。
・ドラマ版「セクシーボイスアンドロボ」は完全にニコの成長物語として作ってるんだなあと。だからニコは自分の人生や能力や意思に消極的だ。耳がよいという設定も絶対音感とかそういうレベルでこういう能力もった子もいるよねー、と、あり得ないわけじゃない温度で展開させているし。原作のニコにはなぜスパイや占い師になりたかったか明確な動機がなかったし途中まではなくてもよかった。「少女の好奇心」で説明できなくなった時、つまり技術の成長ではなく少女が人間として成長せざるを得なくなった、というか無垢だった少女が成長するかそこにとどまるかを選択しなければならない状況にきた時、物語が止まった。
だから物語が止まらないようにドラマのニコはよくブレる。ニコのブレが物語を動かす。よくブレるから原作のニコのように決定的にどん底まで落ちて自暴自棄になることはない。ハードボイルドな冒険活劇を求めている原作ファンにはそこが不評なのだろうけど、ドラマでの半熟卵のニコを包む世界観を私は愛おしいと思う。
・冒険活劇が説教臭い成長物語になったことに対して私が不満を持たないのは単に冒険活劇より説教臭い成長物語の方が本来の私の好みだからです。あの説教臭さが嫌いじゃないのは私もそう思うから。まっとうな説教臭さに反抗する小便臭い人間ではもうないから。
・ドラマの展開は各々の話の核の部分は実は外していない、その核の部分をとりあげていくつかの話を組み合わせて再編成しているので充分に原作を尊重して、なおかつ原作とは別物であって、だから原作があの展開のあとに再開することになってもドラマの存在が支障にはならなく、そういう配慮ができているところにも脚本家やドラマチームの大人の余裕や優しさを感じる。
・ドラマの展開が実はそれほど原作から離れていないのにずいぶんと印象が異なるのは結局ニコのキャラクター設定につきる。私はどっちのニコも好きだから、こういう状況になるとこういう子だったらこうなってああいう子だったらああなるのか、と二倍楽しめてお得だと思ってます。