わたしのしらない寮生活

「しまふく寮通信」東京での発売日だったので、代々木で治療うけたついでに高島屋の方の紀伊国屋書店、だから新宿南店なのかな、で購入しました。うっかりほっこり系エッセイコーナーで最初探してしまいました。でもきちんとスポーツコーナーにあったよ。13日夜7時時点で4冊まだあった。ついでにそのへん見回してたら「愛しのセルゲイ」も売っててびっくりしたんだけど、あれ翻訳者石井苗子だったんですねえ。
私には寮生活の経験がなく、高校時代の同級生達の陰惨な寮体験しか身近に接して知らないので一生寮生活は送るまい、と思っていたのですけど、私の思っていた寮生活と全く違う寮生活がそこにはあるので、ああこんな寮だったら入ってもいいかなあ、とは思うんですけど、これはこれで寮生活のいい所だけを抜き出して針小棒大に触れ回っているに違いない!と自分の高校の外部に対する徹底した美化とプロパガンダが骨身に染みているのでわたしゃ騙されねーぞ、とも一瞬身構えるんですけど、そこまでうがった読み方をしなくていいんだ、だってこれは男子寮の話だもんなあ、更によく考えてみればうちの弟は寮生活経験者だが私の身近に接していた寮体験と全く違う男子の青春ぽい感じみたいだったもんなあ、高校時代サッカー部で山瀬(兄)にフルボッコにされた弟の体験の方がこっちに絶対近いんだろうなあ、だって山瀬(兄)がもともと所属していたチームの寮の話だもんなあ、私の体験とごっちゃにしてはいけないなあ、と本の中身を素直に受け取るまでものすごく迂回しました。ねじくれた女子高生活でした。しかし腐女子的な趣味はないのでそっち方面に想像力を働かせることはできないのである意味不幸な気もします。多分、腐女子的には若手サッカー選手の独身寮生活なんてシチュエーションは垂涎ものなんではないかと。
コンサドーレ札幌というチームは良くも悪くもフロントも選手もスタッフもサポーターもスポンサーまでもファミリームードに包まれているチームだと思うのですが、そしてそれ自体が北海道らしさだと思うのですが、チームとしてや北海道全体に対する課題はさておき、この本自体は端的に「どさんこワイド」的ないい本だと思いました。
道外に出ると「どさんこワイド」ってものすごく北海道なのよ。「水曜どうでしょう」よりよっぽど北海道なのよ。私の蔵書に「存在そのものが北海道」というピースが入って、もっているだけでなんだかしっくりきて、ああやっぱり私はこういうとこ出身なのだなあと思ったのでした。
そらどさんこワイドの話をブログでえんえんとするわと思った。これどさんこワイドが紹介しない方が不思議だもの。
コレ→http://www.consadole.net/murano/article/338

遠く東京の空の下、しまふく寮通信(ブログ)で書かれているようにしっかりと握りしめてヨレヨレになるまで読み続けようと思います。ここでは語られていないプロスポーツ寮ならではの厳しい現実なんかもあるのはわかっているけど、そもそもしまふく寮ができたきっかけだってその厳しい現実をつきつけられたからなのだけど、でも、寮母さんの書く文章はそういう気配をも和らげてくれるから、それは私にあまりない部分だから見習いたいなあと思っています。
一瞬一瞬は容赦なく消え去っていくもので、それが輝く理由がちゃんと経験としてわかっているからこそたっぷりと愛おしみ掬い上げている日常の描写の連続。気取った作家の書くものよりこれこそが正当な日記文学の系譜であるような気がしてきた。平成時代の寮母と平安時代の女房がやっていることってそうそう変わらんわと。