優しい志を持つ人

友達が国会議員になりまして、当確が出た瞬間にとりあえず速攻メール送っといたんですけど(アスリートが大きな試合で偉業を成し遂げた時の周囲の人間のようなことに自分がなるとは、という妙な感慨を)、忙しいだろうから返信不要と書いておいたんですけど、それでも数日前に返事を送ってくれて、これがとてもよい文面で、私は今全然自分にも他人にも優しくなくて、気張りすぎてて、そんなに肩肘はらなくてもいいんじゃないかってやっと気が抜けた。とんがりすぎてる時はとにかくダメだ。心が貧しいからとんがってるんだ。貧相な文章を撒き散らかさずにもっと余裕を持て、と教えられました。書かれていたのは全然そんな文面じゃないんですけど、そこに宿る精神に触れて「私はなんでギスギスしていたのだろう」と「このギスギスしていた期間に私に当たり散らされた人には顔向けられんわ」と思った。一番貧相になっていたのはこのブログでの言葉だから、読んで下さっていた方々に謝ります。ギスギスした言葉にあてられた人、絶対いると思う。本当に申し訳なかったです。

それにしても、メディアに出ているその人と私の知っている限りのその人は印象が違うので、メディアを通すと何がねじれてああなるのだろう?と今純粋に不思議だ。一人の人間として向き合っていないで、その人の持つある一つの面を強調して印象を固定させるからかしら。
メディアを通す時には何かしらの役割があるからこそメディアに出てくるのでそれはしょうがないのかなあ。
テレビに出ている人も案外普通の人なんだと思う。テレビを主戦場としていない人は特にそういう人多いんだと思う。
これはテレビじゃなくて雑誌だったんだけど、友達の旦那さんがインタビューされていて、それが大層立派な人のように思えて、その立派さ加減が面白かったのだけども、同時に危険だなあとも思った。メディアに出ると普通に付き合いがある人が至極立派な人に仕立て上げられてしまう傾向があると近場の人でわかってしまったから、気をつけないとなあって。みんなよそゆきの顔しているから立派にならなきゃいけないのかも知れないけど。その立派さに騙されてはいけないなあと思いました。
その立派さをネタに笑える人が私の友達や友達の旦那だからいいんだけどさ、立派さに自分で騙されてしまう人もいっぱいいるんだろうなあとも思ったよ。等身大の自分を見失うのは怖いことだ。

友達にはこれからも等身大のまま政治の世界でやっていってほしいです。まあそこらへんはポッと出じゃないから皮膚感覚でわかってるだろうけども。
私は等身大で付き合える人々のことを大事にしています。そしてできるだけ、どんな人にも等身大以上も以下も見出さないように心がけています。なのでうっとりの才能がないんだと思います。
フィギュアスケートやサッカーは好きだけど、そのプレイはともかく、アスリート本人にはできるだけ幻想を抱かないようにしてるはずだけど、どうなんだろう。幻想を背負わされるしんどさは知っている方なので、プレイ中にみせてくれる幻想には酔いしれるが、その本人自体にまで幻想を背負わせたくないなあと思っているのだけど、これできているかなあ。もし等身大の本人と付き合いができたとしてもせめて許容範囲内、本人がしんどくない程度、のブレであってほしい。私が今大事にしている等身大の付き合いの延長線上にのっかっていてほしい。等身大の自分を見てもらえないことの切なさ・やるせなさを自分がリスペクトしているアスリート達に感じさせたくないです。