時代の空気か世代的なものなのか

90年代、あれだけタナトスに惹かれることすら倦んでしまってどうしようもなくさまよっていた私達がすがりついたのは「完全自殺マニュアル」や「人格改造マニュアル」で、これらの本に一筋の光をみた人は多かったと思う。私は「人格改造マニュアル」を読んで、もうどうにでもなればいい、お前なんかかかる程度の症状でもねえよと馬鹿にされてもいいや、と精神科に駆込んだ類の人間だから確実にお世話になった。ちなみにその時の診断結果はけっこう重度の抑うつ状態でした。そこまで落ち込んだきっかけがエヴァ(のアスカの精神汚染)というまたどうしようもなくベタにある意味90年代をエンジョイしていたとも言える。

そして、しばらくの沈黙状態を破って鶴見済がブログを始めていたのを知った時は本当に嬉しかった。変わったところも変わってないところもあるのがよかった。
http://tsurumitext.seesaa.net/

私が先達として今聞きたい声をもっているのが鶴見済小沢健二で、結局その二人であるというのは10年以上変わってないともいえるのだけど、彼等の発する声が10年以上前と確実に変わっているので、そして彼等の戦いは彼等が前進する度に彼等の主張から脱落していく者も増えほとんど孤高の戦いとなってしまっているのだけど、彼等が各々の道を前に歩んだ結果、この二人の主張が今になってとても近くなっているのがいいなあと思います。

国会空転中だが水面下の工作は激化していた9月中旬、「国会議員のパーティー」的なものに初めて潜入したのですけども、それがいわゆる「国会議員のパーティー」然としていなくて面白かったです。社会的に無所属の人間の寄り合い所帯みたいな感じで。いかにもな人がもっと沢山いるのかと思ってたけどそうでもなかった。揶揄されそうな人々はもちろんいたけども、そうじゃない人もいっぱいいた。小沢健二が「うさぎ!」で描いている「あひる社」って日本ではここにあったのか、と思いました。

日本で今マスメディアに露出している知識人・文化人と呼ばれる類の人達の中に今の鶴見済小沢健二のような発言をする人がいなくなっていることはどうしてなんだろう。不思議です。そういう人は使ってもらえないんだろうかなあ。

「あひる社」潜入写真のっけておきますね。