ひとは見た目が9割でしたっけ?

フェミニスト」のイメージがアレでバカにされやすいのはぶっちゃけ見た目がアレだからですよね?
もし井川遥があの雰囲気でフェミニズムの論客だったとしたらあそこまでの扱いされませんよね?現実は上野千鶴子小倉千加子がアレだから、ああなるだけなんだと思って。俗っぽい人達に説得力を与える外見じゃないからなんだろうなあって。せいぜい遥洋子、とはいえ、関西弁でまくしたてちゃアカンわ、きっとそういうもんなんだと思う。
東大なんてたいしたもんじゃねえよ、と言って説得力があるのは東大に受かった人かそういう人に認められている人だけ、というのと一緒ですよね。

フェミニズムの対立軸は対マチズモを超えることはできないのかなあ、というか、じゃあマチズモが存在しないと成り立たない概念なのか、とか、マチズモを増長させる女達(以下それを高市早苗と称します)とフェミニストの戦いが醜いものだと思われがちなのは高市早苗の戦略なんだよなあとかぐちゃぐちゃしてたのだけども。

私は今、そんなもんを超越して「犬身」を書いた松浦理英子の自由さに喝采を送りたい。まだパラパラ斜め読みしかしてないんだけどね。
もうこの人、フェミニズムとかマチズモとかそういう次元のことに興味ないんだなー、ポーンと捨ててここまで行くのか、と思ってかっこいいなあって。
フェミニズムのコード化(「ナチュラル・ウーマン」あたりに顕著)→超コード化(「裏ヴァージョン」)→脱コード化(「犬身」)、この過程が素晴らしいです。
ダーウィンがきた!」あたりで動物の生態を見ていると先進国と呼ばれる国の人間の文化の「男性中心」という事態がいかに異常なことかと気付くんだよねえ。

実在する戦闘美少女とフェミニズム、そしてそのゆるやかに守られゆるやかに閉鎖的だった(それはまた「少女趣味」に通じるものでもる)空間から外部に晒された時の戦闘美少女達の戸惑い、という構造でフィギュアスケートの現在(特に日本のフィギュアスケートブームにおいて)を切り取れることにごく最近気付き、私、今大学生だったらこういう卒論書いてたかもなあ、と思った。大学生でも学者でもないから評論の言葉を使ってはもう書かないし書けないけど。誰か書くなら手伝うけど。
ただ、私が、競馬場や雀荘やサッカースタジアムよりフィギュアスケート会場の居心地がよいのは確かであり、その会場の男女比は他のスポーツに比べると明らかに偏っておりというか逆転しており、そういう男女比の場ではマチズモは眉をひそめられるものであり、フェミニズムとマチズモの対立構図、どちらが優位に立つか、というのは単純に数の問題であるのだ、という事実にも行き当たり、高市早苗はそういう会場に入るとさも当然のようにフェミニズム側につくのであろうなあ、あれはよらば大樹の陰なんだよなあ、など。
男が大多数の会場に挑んでゆく女の人は鎧をつけて討ち入りするけども、女(+ゲイ)が大多数の会場に入るヘテロの男の人は肩身を狭そうにして存在感を誇示しないようにして内股気味に入ってくることを発見したのが、ちょっと嬉しかった。女系家族で育った男の子とかはそれほど意識せず馴染めるみたいだけども、それは彼等がそれほど強くマチズモに晒されていないからだったりフェミニズム原理の現場に馴染んでるからなんですよね。こういうのはったりきかせる人だと「あらかじめ去勢された男」とか言うんでしょうか。論理飛躍上等の精神分析屋が言いそうな単語を適当に組み合わせてみただけですけども。
私は「(マチズモに基づいた)男らしい」男の人が苦手なので、フィギュアスケート会場に馴染んでいる男の人(その人がヘテロであろうがゲイであろうがバイであろうが)を見ているのが好きです。馴染めていない男の人、俗っぽい言い方をすると、女子選手をエロ目線で見ている人はあからさまに浮いているから、ああいうあぶり出し方ができる場は貴重だと思います。
フィギュアスケート会場は男の世界に討ち入りする時の鎧(これは現在の日常生活でほぼ必須のもの)をつけなくていいから、そういう意味では楽な場なんだ、と気付いて、あー私、あそこでナチュラル・ウーマンになることができるのか、って思いました。宝塚やジャニーズと違って、女が多い場所でも対象に向かうリビドーがそれほどでもない場所というのは貴重です。女の人が男役を演じているわけでもなくただ戦っている女子選手に対して純粋にファン感情をもっていてそれが普通に受け入れられる場所って他にあまり思いつかないや。戦っている女子選手が対戦相手を直接下すわけじゃなくて(これはマチズモ原理に組み込まれるものがある)、自分の思い描く女性像を演じて滑っている姿を応援していてそれが本来あるべきこの競技の応援スタイルなのだから、なんだか得難く尊い場所でありフィギュアスケート会場こそフェミニストの聖地であると宣言したい!そこにはゲイもビアンもバイもいるだろうが、観客の大多数はヘテロの女性である!ちょっとまあフィギュアスケートフェミニズム、この組み合わせが面白くて、こんなのオフシーズンに気付きたかった、だったらこんなに乱暴な論理展開じゃなくてもっと煮詰めて考えられたのになあ、ともったいない気持ちがあります。