友の恋歌

大学の時同じゼミで、私に対して割と親切に接してくれたしとっぱらいバイトもちょくちょく斡旋してくれた子がしらんうちになんかちょっとえらい感じの歌人になっとったのです。
で、シンポジウムのパネリストとかやるという告知をみたのです。

 歌をはじめたきっかけが、優れた相聞歌を読み感銘を受けたから、という人は多い。かくいう私もその一人で、先に執筆された3氏の歌などは、大学生の頃に胸を熱くさせながら読んだものである。

http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/jihyou/jihyou_080115.html

書き出しがいきなりこんなことになっとって、「えええ」と。そうか、あの頃の私はぼんやりとしてそういうことに気付いてなかったけど、私に親切でいつもさっぱりと涼しげで清潔感漂っている風に見えた岡崎は同時にそういう面も持っていたのか、と。
大学後半は私ほんとにぼんやりしててというか、今振り返るとよくあの人休学しなかったなというくらいおかしかったのです。おかしいってアッパーな狂い咲きの方向じゃなくて鬱とパニック障害の症状やそれまで見ないふりで通そうと無理していた部分全般を自覚せざるを得ないくらい波がきちゃってなんだかどうしていいんだかわかんなくて途方に暮れてどんよりしていた時代。その症状と10年も付き合ってたらそりゃ慣れてもくるけど付き合い始めの一番きつい時代。
そんで、20代半ばくらいの時にたまたま目にした岡崎のこの歌、私とても大好きなんです。

したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ
                       『発芽』

岡崎がどこの情景を詠んだのかは確かめてないからわからないんだけど、大学のあった駅の皆がよく自転車を止めていたあの銀行のあたりに、夏の朝始発とかそれに近い電車で帰ってきて自転車探した時の気持ちを呼び起こされて揺さぶられるようで、大好きなんです。すごく眩しかった、照り返しが憎かった、憎くて泣きそうになった、でも知り合いがいて見られてたらいやだから我慢しよう、みたいなの。
あ、でも、上のURLでこの歌に続く文章読むと初夏に詠んでるんだね。夏の朝だ、って思ったのはあながち間違ってなかったのかな。とにかく夏の朝に自分が味わったあの景色や匂いを共有してるようで嬉しかったのです。三十一文字の力はすごい。
そんで、私はその頃、自分が逃げ回っていた「書く」ということと真剣に向き合わざるを得なくて、「書く」といっても多種多様なジャンルがあるからどれを選ぶか、ということで頭を悩ませていて、正直詩歌、とくに韻文は向いているのだろうなとは思っていたのだけど、そっちは岡崎が追求してくれそうだからいいや、と散文の方向に自分の「書く」方向を定められたのでした。
知らないところで勝手に託してたこと岡崎にまだ伝えてなかったけど、まあいいか。
そもそもこういうのは私信でこっそりメッセージ送ればいいんでしょうけど、恥ずかしくて、壁打ちみたいにクッション置いておかないと、うまく距離がとれなくて。
ご結婚おめでとうございます。って今もうついでにここに書いとけ。
つうか、Wikipediaに項目があんのな!すっげびっくりしたわ!しかも大学の頃に既に活動してたんだ、ゼミでそんなそぶり全くみせなかったじゃん…気付いてなかったの私だけなんだろうか…しょんぼりんだよ…まだ歌集手に入れてないから今度買うね…