でたらめ姫再び上野へ行く(確定)

東京文化会館に日傘忘れました。
・夏は日傘につばの広い帽子という合わせ技で頑張ってます。
・日焼け止め塗るのめんどい&日焼け止めですらかぶれるアトピー持ち敏感肌にとってマストアイテム。
・なのに忘れた。
・思い出したの電車の中、パニック障害持ちが電車の中で気付くこれかなり危険。
・でもみにいってよかった。
ボレロはメロディがカトリーヌ・ズアナバールでした。
・メロディよりリズムが気になったというか、体に入ってきました。
・リズムが動き出すのって、ボレロで唯一不協和音をピッコロで作るあそこだったんすね。そのタイミングだと知らなかったもんですから、その的確さから世界にひきずりこまれた。
・というか、私がソリストタイプではなくて、伴奏でソリストを支えたい過不足なく出しゃばらず役目をこなしたいというタイプの演奏者でしたので、どうしてもそっち側に感情移入してしまいます。
・すなわち演奏者であった私が戻ってきていたのでした。
・男性群舞の力強さと嫌味のなさといったら。
・でも、ボレロは代表作で私でも知ってるような演目だけども、やっぱりこの作品はモーリス・ベジャール作品のone of themでしかないな、と他の演目もみて思いました。
・『これが死か』は、ずっと白の女でいたいなあとずっと思いながら見ていた。私はいつでも白の女でいたいのです。黒の方が受けのいいここ何十年かの文化の中で育ってますけど、私は黒が似合わないのです、黒に分類されるような経験は沢山あるはずなのに、なぜか白浮きして生きてきたので、白の部分を受け入れて出して行くしかないのです。
・それは目障りなものだったろう、近くにそんなトーンの奴がいたら目障りに違いない。
・だが自分でも調整できないから仕方がない、慣れてもらうしかない。
・『イーゴリと私たち』!これは、もうモロ演奏者であった私に戻ってました。だって、オケの音出しの音がAじゃなくてBでとってた、なぜか(通常音取りの音は、オケはA、ウインドアンサンブルはB)。ぼんやりといったものですから、「イーゴリって誰だよどのイーゴリだよイーゴリ公かよ」くらいで構えてたのですが、あの声聞いたことある、誰だっけ?この変拍子知ってる!ここここのメロディはストラヴィンスキーだ!イーゴリ・ストラヴィンスキーだ!!!!!って気付いた瞬間ぐわって肌が音と空間を吸収し始めました。
YouTubeかどっかでストラヴィンスキー肉声で指導してるの聴いたあるんです、多分。
・でもそれよりずっと前かもしれません、とにかく記憶がいきなり甦った。
・あの、カシャカシャカシャってつながんのね、そういうの。ここ最近そんなんばっかだけども。
・音を体で表せる人達はすごいなあと、そればっかり、だって、ほんと♪になってたもんあの人達。体の形もだけど精神も。
・あの変拍子に普通にいつの間にか食らいついていた中高生の私、すげえな、とちょっと尊敬した。
・でもあの中高生の私は、変拍子はなぜかとれるのに、威風堂々みたいな四分の四拍子がものすごく苦手だったりした。スラブ系の変拍子だけは拍をとるのがけっこう得意だったのは今でも謎だ。
・めったにそんな特殊技能は必要ないはずなのです。あ、でも、変拍子って基本2と3に分けられることおさえとけばいけるはず。
・なのにオーソドックスな4拍子が全くとれないことに悩んでいました。3拍子は平気だったんだけどなあ。
・ああ、2がつながると感覚がおかしくなって、前のめりになってたのかな?二拍三連は平気だったしな。
・そういうの15年前に気付いとけよ、ということを今気付いた。
・昔話はここらへんでいいだろう。
・ジル・ロマンの拍感覚はそれでもやっぱり卓越してたです。BBL大丈夫、こういうの作れる人が率いていくんだったら少なくとも私は大丈夫。
・『祈りとダンス』の男性群舞に圧倒されてました。『イーゴリと私たち』から『ボレロ』終わるまで、世界にずっぱまりだから客観の目が働いてなくてあんまり記憶してないんですよ。
・田舎で本を読んでる時、私いつもそんなんだったなあ、いや、今も小説を読む時はそんなんだ。
・記憶装置機能を切って感受性のみの存在になってるみたいなんです。
・あとからなんとか文献なり写真なり映像なり見てリカバーしようと思えばできるはずなんだけど、今身体が弱っているんで、ただの感受体になり果ててました。
・一種の離人状態で出てきたから日傘を忘れてるわけです。
・いつとりにいけばいいんだろう。
・私、普通のロマンチックバレエじゃ物足りない体にされてしまいました、多分。
・哲学的でありながらどこかチャーミングですよね、と知ったような口をきく。
・To be or not to be.
・最近オフィーリア病がひどいのです。
・Get thee to a nunnery!
・この声に従って尼寺併設の施設に入った所で尼寺の現実知ってやだなあって。10代の娘さんはそんなこと思いながらストラヴィンスキーバリの変拍子やらプロコフィエフやらドビュッシーやら小沢健二にまみれていたわけで。
・この人らの音楽はしらん曲でもフレージングでだいたい作者の見当がつく。
・オフィーリアの名前の由来ってオルフェなのかしら、と今気付く。
・「リア王」とか「ハムレット」とか「嵐が丘」とか小学生で読んでる子供って嫌だよね。そんで悲劇のヒロインに感情移入レベルじゃなくて没入してんの。
・いや、小学生用?なんかそういう感じの世界名作全集みたいの?で読んでるだけ
・「The West Wing』2nd seasonの邦題『リア王の娘』は一番好きなエピソードです。
・原題『Ellie』(そのエピソードの主役、大統領の二女の名前)つうのに『リア王の娘』という邦題をつけたセンスにしびれました。
・二女だけどリア王の娘としては三女の役割だったんですよね、この邦題最高です。
・お父さんを喜ばせる言葉をききたいならお姉ちゃんか妹にきけばいいじゃない!
・そんな感じのこといってた。
・弱っているときに花言葉をつぶやくのはやめよう、シャレにならない。
・なんでそんな習慣できてるんだろ?と思ったら小学生のオフィーリア体験でした、多分…
・その時期なんかあったんですかね?
スイートピーが新たな門出、とか、旅立ちなんですよ。
・つーかミレーのオフィーリアくるんですよね。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/shosai_08_jemillais.html
・オフィーリアとかジゼルとかキャサリンとかに没入してる小学生って痛いよね。
・そしてそれを卒業していない31歳は更に痛いよね。
・私が小学生時点で没入しているヒロインの共通点、狂死。
・私は狂死しないぞ!という目標を立てる小学生。
・その目標が割と正しい設定であるというのがまた嫌な感じ。
・私はただ幸せになりたいだけなのだ。
・そして、私の幸せは芸術に没入することだった、と気付き愕然。少なくとも一つはこれだ。
・映画人はやたら「第七芸術」を連呼していた記憶があるが、日本じゃ「第八芸術」らしいよ。
・でも、大学でも「第七芸術」と習った気がするよ、フランス語の授業だからかなあ。
・その先生、西洋美術史が専門で高階秀爾の愛弟子。だから私は高階秀爾の孫弟子(自称)。

フランス→第一芸術(建築)、第二芸術(音楽)、第三芸術(絵画)、第四芸術(彫刻)、 第五芸術(文芸)、第六芸術(演劇)、第七芸術(映画)
日本→第一芸術(文芸)、第二芸術(音楽)、第三芸術(絵画)、第四芸術(演劇)、第五(建築)、第六(彫刻)、第七芸術(舞踏)、第八芸術(映画)

だそうです。
・建築と文芸の位置が入れ替わってる理由はまあ推測できる。地震とかなんとか。あと自分の踏襲の仕方が日本人なんだなと思った。
・文芸と音楽/それ以外できっちり私は線ひけるもの。その次に映画がくるのも時間芸術から回り込んでのことだろうし。
・総合芸術と呼ばれるものでは、映画はちょっと特別です。適度な距離感をとれるある意味一番大切な友達。大事な友達以上でも以下でもない友達。
・基本、ストイックなものが好きなので、総合芸術で全てみせます、みたいなのは気後れするんだけども、静かな映画に限っては友達になれる。
・饒舌な人間に出会うと気後れするのと一緒なんだなあ。オペラは饒舌で陽気な人間みたいで、楽しそうだなあって思うと自分がものすごく後ずさりする。
・演劇はもうそのまま暑苦しい。言語芸術以外からは言語を奪ってほしいのだ。その芸術固有の言語を知りたいから。そんなこといったら総合芸術成り立たないけど。
・バレエはよかった、身体表現のみでやってやるよ、みたいな意気込みがいい。
・オーケストラボックスで演奏はしてみたかった。それはささやかな夢だった。バレエ見てても思った。
・数学者と統合失調の親密度合いと文学者と鬱の親密度合いはどっちが強い絆なのだろう。
・私が言語を好きなのは、言語芸術を扱っている限り狂死はできないからなのかもしれない。
・いわゆるアウトサイダー・アートの範疇に言語芸術のみはその特性上加えることはできないのだ。
・そんな言語芸術を愛することで、正気を保ってきたのかもしれません。
・言語芸術のみ、とはいえないか。総合芸術のマネージャー(監督)も理性が残っていなければ無理かもなあ。
・というか、役者にある種の気がふれた状態を要求する者自体が気がふれていたら作品が成立しない。
・あ、私、スポーツも芸術だと思ってる。「芸術的」じゃなくて芸術そのものだと思っている、実は。
・私の芸術の概念は簡単で、私が美しいと思うもの、美しさに感動できるもの、なのです。
・芸術を言葉にしたい、というのが単純な私の欲求なのでした。
・言葉は命綱です。
・なので、追いつめられるとまず言葉からダメになります。
・しばらく言葉が出てきてませんでした。今は気軽に思ったことを外の世界に触れる部分でも書き付けられるくらいにはなったかどうか自分でちょっと試してみました。
・できてるみたいなので、この状態よりひどくならないよう、ディフェンスラインに指示を出します。
・三歩進んで四歩下がって五歩進んで三歩下がる、みたいな感じで、長い目で見ると回復傾向ではあります。
・腎臓もおかしくして思ったんですけど、これが一つしかないのにトップアスリートとして活躍しているブライアンさんは超人的だなあと。
・卵巣は一つでも特に問題なさそうですけど、腎臓は一つだと結構問題ありそうだよ。
・卵巣も腎臓も機能低下を経験して思った。
・とにかく私は芸術を体にとりこむのが好きだ。
ソリストというのは大概芸術そのものなので、そのソリストを包み込むという形を装ってとりこむ伴奏者の位置が好きだったのだ。
・絵画・彫刻であっても主役はモデルではない、主役は画家であり彫刻家である。少なくとも私はそういう意識をもってその職をこなしていた。
・傍観者でも芸術そのものでもない、媒介としての役割が私の天から与えられたポジションだと思った。
・芸術家になりたいのではなく、芸術家の一番近いところに立ちその芸術を助ける人になりたいのだ。現世の実務状況ではなく芸術世界を築く上で助ける人に。
・言語芸術の姑息な所は芸術を描写するだけで「自分も芸術」って顔をできるところだな。
・詩歌は芸術だけど、散文は芸術と言い切れるか否か、それが問題だ。
・あせって答えを出す気はない。