夫婦百景

marginalism2008-07-30

2008ウィンブルドン男子シングルス決勝のあの凄まじい、生きていると稀に邂逅することができる奇蹟の瞬間、それについてアメリカからやってきた従弟と拙い英語で話していてる時に思い出したんですけど、ラファエル・ナダルとトマシュ・ヴェルネルが同じ生年月日で驚いてたんでした(1986年6月3日生まれ)。トマシュは私が見たいから早くヤナーチェクのクロイツェル・ソナタで滑っておくれ、と常々思っているのですが、英語で伝えればおk?そういうのを伝えたい一心で英語習い始めたのに、トマシュ今年N杯こないのな……英語が母語じゃない選手だとちょっと気が楽だったのにな……去年のN杯の惨事を繰り返すまいと一念発起して英会話習う誓いを立てたのにな……(今年のワールドアイスダンスチャンピオンと女子銀メダリストにばったり出くわし、なんか喋んなきゃと思ったらとっさに思ったことが飛ばしちゃいけないものを飛ばしてしまってひどい英語になっていたことに後で気付いたのでした……)

そんで、更に驚いたのが、私の相手をしてくれた従弟がナダルやヴェルネルより年下だということでした。あ、確か明日誕生日でやっと21歳になるみたいです(アメリカ基準でお酒飲めるようになるから運転免許・選挙権・喫煙などの大人利権は全て揃いはっきりと大人になる、と思ったが、彼の姉は出生地主義アメリカで生まれたので二重国籍なのですけど彼は血統主義の日本で生まれたので日本国籍グリーンカード、すなわち、この、大事な2008年米大統領選の投票はできないそうです)。
英会話教室に通い始めて2ヵ月、そんな拙い10年ぶりくらいに会った従姉の英語トレーナー(本業は医学生兼テニストレーナー)(「じゃあ医者になるの?」と訊いたら「医者じゃなくて研究者になりたい」とこたえてくれたのはいいが、私たちの英会話を微笑ましく見守っていた彼の母親が「そんなことはきいてない(いきなり日本語が出てた)」と顔色を変え、なんかうっかり大変なことになってました)をしてくれて、しっかりした優しい子だなあ、と思ったのですが、私が年の割に頼りなくかわいそうだったから仕方なく相手をしてくれた可能性が高い。
その他にもめちゃくちゃ20代男子(弟の友人たち)にちやほやされて調子ぶっこいてきたのですが、それは「新郎の姉、でも30過ぎて未婚、なのに振り袖を着ないでさもしい見栄を張っている」という状況に対しての憐憫の情であったんじゃないかと。

10日程前、弟の結婚式&披露宴があったので、帰省してたのです。
ただ一言、よいお式でした。
新婦の父が新郎に「何があっても幸せにすると誓って下さい、何があっても守ってくれると誓って下さい」と涙声で訴えたあたりがこのイベントのボルテージ最高潮で皆泣いておりましたが、うちのテーブルはよくよく考えてみると新郎の親と姉(新婦側からだと舅・姑・小姑勢揃い)なので、あの娘さんを泣きながら差し出したお父様から奪った側の家族なので、暢気に泣いてる場合じゃなくね、私らにも託されてるんじゃね?と後で気付いたけど親には言わなかった、大人になったから。
うちの父親とかスピーチ慣れしてるし、うちは父親の方が母親より社交的なんすけど、新婦さんの方はお母様が快活活発そうでお父様は穏やかで口数少なそうな方でしたので、そういう人が心から放つ言葉だからやっぱり一番重いなあって思ってメイク崩れなど気にせず、その場ではただもらい泣いておりましたけども。

金婚式もとうに過ぎた夫婦から、その日できたての夫婦、更には一週間後に結婚式を挙げるというプレ夫婦まで、夫婦というものを各種取り揃えて一堂に会した場所で夫婦観察にいそしんでいましたが、夫婦の形はそれぞれあるが、大事なのはバランスだなあっていうか、その夫婦によってのバランスシートってそれぞれ違うんだなあと、夫婦おもしれー、と思ってみてました。

それと、最近読んでいた本は「成城」「慶応」という価値観が重要なモチーフとされていた小説だったのですが、それとは別、いや別じゃない、密接に絡んでいるがまた違う価値観としての「旧帝大」というものもあるのか、と肌身で感じてきました。「成城」「慶応」(読んでいたのはそこで育った女性達の物語)の外部概念としての「旧帝大」(これは男性論理が多分に働いている場所だと思う)、それこそがメインストリームとしてこの国を作ってきた、という当たり前のことが(その当たり前さは読んでいた物語で暗示されていたのに)、地元の旧帝大の価値を全く鑑みず、東京の私大の方が輝いて見えて、結局サブカル大学サブカル学部に進学卒業の私には今までわかっていなかったのでした。
私は骨の髄までサブカル大学サブカル学部な人間だからある意味では埒外で、その場のちょっとしたアクセントとして機能していたのですが、旧帝大出身の人達は地に足がついてるのな。若いとか年いってるとか関係なく。国立大ってあんま接点なかったけど基本的に皆シックなよい家庭出身って雰囲気ぷんぷん出してんのな。

今現在、私が頻繁に使う言葉は「家庭内格差」です。