爆笑のち崩壊

アメリカ経済の惨劇がもはやスラップスティックコメディで(基本的に経済無知なので)爆笑してましたら、そのせいで日本の総選挙の日程が流動的すぎて気を揉みすぎて体調崩してます。早く日程決めて!もう!じらさないで!体力配分とかいろいろあんのよフィギュアスケートシーズン入るし米大統領選はあるし総選挙どこにつっこむのよ、盆と正月とクリスマスと誕生日が一緒にきてもまだ足りないよこのフェスタスクランブルは!

これはもう経済のことだからわかんないけど、この騒ぎを見ていると例えばベルリンの壁崩壊とかソ連崩壊みたいなことが起こってるのかなあ。この時期にアメリカで経済勉強してるってすげえラッキーじゃん、と、暢気に友人のことを思い出してる場合じゃないくらい逼迫してるんだろうか、アメリカ。

NHK杯のチケットが金曜日分しか確保できてません、びっくりしました。代々木なのに瞬殺。頭の中にコンパルソリーコンパルソリーとそれしかなく、とりあえず金曜日はマストバイ!と、仕事中にリロードしまくって、他の日は仕事終わってからでいいやと思ってたらなくなってた。あっけなくなくなってた。例年ならアイスダンスコンパルソリーダンスとペアのショートの日は安いしテレビ放送もないだろうから最前確保でじっくり足元みてやる!と思ってたら、日程がコンパクトにまとまってた。切なかった。全カテゴリー一緒にするなよ!同じ日に2種目なんてアイスダンサー(とアイスダンスヲタ)軽視かよ!と憤ってたらチケットがとれなかった。意味わかんない。

英語勉強中ですが、性格上、まだまだ基礎工事をガッチリ打ちまくってて、実際に使えるレベルには全く届いてません。多分、即席でバーっと使ってる人よりむしろ後退して作り直してるから拙いかもしれん。が、基礎工事をガッチリ打ってる行為自体がやっと楽しくなってきました。これをモノにするには相当手間ひま金がかかるだろうなと、だからやりがいあるだろうなと、やっと思えるようになりました。アングロサクソン文化には興味がないのですが(ミレイ展で痛感)、だからこそこれさえやっておけば、他の興味ある文化の言葉を押さえる時に楽になるかなあと思います。基本、インド・ヨーロッパ語族の文化に興味持つのでしょうから、ここはインド・ヨーロッパ語族の言語を確実に一つは押さえておきたいです。簡単に手に入るものにはやっぱりその程度の価値しかないし、手間ひまかけるだけの価値が他言語習得には確実にある。
あと英語文献が楽に解読できると確実に世界は広がると思った。ので、気長に行きたい。これは押さえると一生ものになるはずだ。NHK杯とかロスワールドとかバンクーバーとかそうやって目標立ててあせらず、ちょっと長期的視野に変えてみたら楽になりました。こっちの方が性分に合ってます。あと、「英会話」になると、「英語能力」よりむしろ「会話能力」の拙さが際立つことがわかりました。ほんっと喋るの苦手だから、日本語でまとまりがないものが今のところ英語でまとまるわけがない。が、手応えとして、英語の機能性を考えると、それなりのレベルまできたら英語で考えた方が会話はまとまりやすい気もしました。英語の機能性の特徴と、母語ではなく獲得言語として理詰めでアプローチする、そうなると日本語を使っている時の甘えがなくなるんじゃないかなあと。どちらかというと会話用の言語だと思うし。日本語は読み書きの方が絶対楽しいと思うんだけど、英語は文献読むより聴いてる方が楽しいなあって(喋るのは今の所まだ苦行)。

最近の習い事は英会話・ピラティス・ヨガ、ハマっていることはヌーブラの取り扱い方です。それなんてスイーツ(笑)つうかんじです。ヌーブラすごいできる子だよ。アトピーもちでもかぶれない。
そんな習い事に金使いすぎてフィギュアスケート関連書籍買うのもままならなくなってるスイーツ(笑)の多分存命中の指揮者で一番好きなゲルギエフ続報
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/080919/erp0809190257000-n1.htm

【くにのあとさき】東京特派員・湯浅博 ゲルギエフへの“憂鬱”
2008.9.19 02:54
 誰しもふるさとは何にも替え難いものだし、時には自らの信念との板挟みになることもある。名指揮者のワレリー・ゲルギエフは、ロシアのグルジア侵攻を心から賛美していたのだろうか。
 グルジア紛争の発火点となった南オセチア自治州で、ゲルギエフが指揮した追悼演奏会のAP通信の一報を聞いたときの印象である。彼は演奏前のあいさつで、「もし偉大なるロシアの助けがなければ、犠牲者はさらに増えていただろう」と述べたという。
 演奏会そのものが、ロシア政府の支援を受けた官製だった。ゲルギエフのいう「偉大なるロシア」の露骨なメッセージが動画の配信元から世界に流された。「彼も政治宣伝に使われの身か」という印象はぬぐえない。
 ゲルギエフの指揮は、ダイナミックで切れ味がよいチャイコフスキー6番「悲愴(ひそう)」や、雄弁な美しさをたたえるストラビンスキーの「春の祭典」をCDで聴いている。その彼がプーチン首相の全面的な支援でマリインスキー歌劇場管弦楽団を立て直したとも聞いていた。管弦楽団の本拠地であり、首相とは縁の深いサンクトペテルブルク人脈なのか。
 だから、このスピーチを聞き合わせれば、「ゲルギエフよおまえもか」と憂鬱(ゆううつ)な気分になる。あのヒトラー政権下で演奏を続け、政治宣伝に使われた巨匠フルトベングラーと引き写しに見えてくる。
 折しも、彼の手兵ベルリン・フィルの記録映画『帝国オーケストラ』が10月下旬に封切られる。当時の演奏家たちは、インタビューに「私たちはただ、演奏を続けたかっただけなのです」という悔悟の言葉を吐いた。巨匠にもドイツたらしめているものはドイツ音楽だとの自負が強かった。
 今回のグルジア紛争が起きてすぐに、大国のロシアが小国グルジアに仕掛けた罠(わな)は、ヒトラーのドイツが仕掛けた詐術とそっくりではないかと感じた。
 ヒトラーチェコのズデーテン進撃に際し、同地に居住する「ドイツ人保護のため」という大義名分を掲げた。ところが、ズデーテンどころか、約束をたがえてチェコ全土を制圧してしまった。
 ロシアもまた、グルジア南オセチア自治州などに居住する「ロシア住民保護のため」との名目でグルジア深くまで侵攻した。大国が小国をひねりつぶす際の古典的な「正当化」策である。
 政治に重要なのは正当性であり、その政治宣伝のために芸術家が動員される。プーチン首相の釈明よりゲルギエフの音楽の方が欧米の人々にはよほど雄弁である。
 しかし、北オセチア育ちのゲルギエフの言葉と、このとき演奏された曲目から、ファンの間に一つの論争を生み出している。「彼の音楽はもう聴きたくない」という悲観論に対して、ゲルギエフと交流を持つ東京外大の亀山郁夫学長はSANKEI EXPRESS紙で擁護論を述べていた。
 ショスタコービッチの「レニングラード」はナチススターリン主義という2つの政治体制への批判であり、「グルジアとロシアの双方の政治的な野心を強く批判した」という。チャイコフスキーの「悲愴」は、犠牲者への鎮魂歌であり、「多くの民衆が命を失ったことを悼む率直な思い」と亀山さんは理解を示す。慧眼(けいがん)である。
 「しかし」と思う。フルトベングラーが結果的にナチスと妥協し、利用されたという批判から免れないように、ゲルギエフの衝動もまた免れえないのではないか。(ゆあさ ひろし)