アスリートをこえて

今回のNHK杯でビット様のお姿をもしかしたら生で初めて拝見したのかもしれないのですが*1、なんだかビット様づくしだったので、家に帰ってから何本かとりだめていた旧東独が舞台の映画を見ました。

カタリナ・ビットといえば『カルメン』ですが、私はリレハンメル五輪の『花はどこへいった』も大好きで、というか、『花はどこへいった』とソルトレイク五輪のアニシナ&ペイゼラの『リベルタ』は別格で、建前ではよく五輪を政治利用するなとは言われますが、実際はまぎれもなく一流の政治舞台であります。特に共産圏にとっては最高のプロパガンダの舞台であったことを肌身で感じている(西側とはいえ)最後くらいの世代の私にとっては、フィギュアスケートはれっきとした五輪競技なのに、政治に利用されるだけではなく競技の性質を逆手にとって自ら政治的メッセージを伝えることが可能な競技であり、それを記録に残せる稀なスポーツだと思っていて、そこが私がフィギュアスケートを愛する部分なのだなあと、直接は関係ない映画を見ていて思いました。ただの芸術でもスポーツでもなし得ないものをフィギュアスケートはもっています。それが私がこの不完全な競技を愛する理由の一つです。

ベルリンの壁崩壊が89年11月ということは、ビットがカルガリー五輪(88年)で『カルメン』を滑った時は東独が崩れかかっていた頃だったのか、ということは自分で滑りたいものを完全に自由には選べなかったのだろうなあ。それがリレハンメル五輪の『花はどこへいった』につながったのだろう。そして、そのビットの切り開いた道をソ連を知りソ連崩壊を知り西側に渡りフランス代表としてアニシナ(私の一つ上)が金メダルを穫った歴史につながるのだろう、と、なんだろう、その舞台の重みと大きさと、その舞台の重みと大きさにたどりつくまでの小さな一つ一つの事象や努力を考え、途方もないような意外と身近なような、距離感がわからない現在です。
彼女達の表現は、共産圏を知ったものでなければ成り立たなかったものだろう。ではそれは幸せなことかというと決してそうではないだろう。だけどその表現を焼き付けることができたことは?彼女達に表現者の意識があるならそれは幸せなことだと想像する。

ただ、毎日ちょっとした分岐点でどっちを選ぶか、その緊張感は常にあっただろうなと。その選択にミスは許されない状況だったのだろうなと。その積み重ねが大一番での強さとして発揮されたのだろうなと。

政治を持ち込むな、この言葉を唱えたからといって政治なんて引き下がるような性質のものではないでしょう。特に採点競技では。私は政治こみでこの競技が好きなのです、きっと。ちまい競技内のかけひきという意味の政治ではなく、体制をどうしたいか広い視野を持って打ち出せるところが好きなのです。全てを超えてそこにいる『人間』が好きなのです。

ザ・ホワイトハウス』を見てNHK杯を見て『善き人のためのソナタ』を見てまた『ザ・ホワイトハウス』を見て、という一週間でそれは確信しました。

知は力なりと言いますけど、知にふりまわされず御すことを覚えなければ、と思いました。メッセンジャー適性のあるものは特にそれを肝に銘じなければならないと思いました。冷戦構造を子供ながらに感じてはいた世代として、あの感覚はずっと覚えておかなければ人間はきっとまた過ちをおかす、だから覚えておかなければ、と思いました。
自分の小ささを思い知り、でも、小さいことを決して忘れてはならないと、小さいから人間は色々努力したり発明したり力をあわせるんだと、体制vs反体制という単純な構造があった頃の話を見て、それがカオスになった現代を見て、でも体制が崩れて残ったのは木っ端みじんにくだけちって世界中にばらまかれわかりにくくなった体制vs反体制の欠片なんだなあって。諍いはそこに宿る。誰だって小さい、ビットだってアニシナだって小さい、だから訴えようとした、訴えようとして通じたのは彼女達が小さく、また全ての人は小さく、その一つ一つの小さい心にさざ波を起こせたからだ。一つ一つは小さくても、それをまとめて大きな一つのうねりにできたからだ。彼女達にメッセージを伝えるために許された時間は4分程度で、4分程度だから集中して見ることができる、その4分のうちに心をつかめるかどうかだけが勝負なんだと思いました。そして、その4分に一生分の力をこめられたらきっとそれは可能なんだと思います。そして、ある任意の4分に一生分の力をこめるためには、毎日毎日4分を大事にすることしかないんだろうなとも思いました。そして、入れ込みすぎることだけではなく時には休むことだって大事にすることなんだと学びました。

別にそれは特別なことではない。世界中で最も平凡である人にもできることです。ただ、そのできることをやるかどうかで道は無限に変わるのだと、そのことを信じます。世界中で最も平凡な人なんて、世界中で最も特別な人の中にだってある部分なんです、きっと。

*1:東京ワールドにいましたっけ?カートは見た記憶があるんですがビット様は曖昧です