混乱しているので

今回のGPFと直接関係はなく、実のところこのシーズンに入る前から私はフィギュアスケートが好きなのかうんざりしてきたのかわからなくなっているのでとりとめなく書き付けて整理することにした。

・ここまでドップリくる前に具体的に好きだった演技・シーン・人
長年軽くフィギュアスケートを見ている中で印象に残っているものは、ビットとアニシナはこれの前のエントリーで書いてるのでまあいいとして、あとはルー・チェンの長野五輪、ボナリーの存在感。
長野五輪の女子シングル表彰台はルルの涙が全部もっていったなあ。あの復活劇はルルより良い色のメダルを持っていた若い二人にはわからない涙だったろうなあと思って見てたけど、その時気付いてなかったけどルルって私と同い年なので、女子シングルやってると相当精神的な成長早くなるんだろうね。とにかくいろんなものに揉まれ過ぎるし、それに耐えられないで潰れていった人の山はどれだけの標高になるんだろうか。
あとは長野だけというわけではないけど、常にボナリーってかっこいいなあと思ってた。肌の色が白いリンクとコントラストくっきりで。あのバックフリップに至る過程に胸がつまった。アルベールビルのあたりから気になってたんじゃないかなあ。
この人らとはちょっと落ちるけどリレハンメル五輪のオクサナ・バイウルも印象にある。アメリカ人の前代未聞の事件であおりまくられてる間にさっと入ってきたあの子。前代未聞といえばソルトレイクのアニシナ達もそうだったんだ。ペアの不正事件を受けて、フランスが取引したとか言われて巻き込まれてたんですよね。それであの『リベルタ』だから心にガツンときたのだった。

どうも私は共産圏や人種やなんやでプレッシャー受けて人にはいえない思いをリンクに焼き付ける選手が好きなんだなあ、今もうそういう政治の背景ないもんなあ、なのになんであの子やあの子はあんなに影がまとわりついているのかなあ。

と、ふと現在は東西冷戦末期の政治にあたるのは経済じゃないかと気付く。韓国経済を背負ってるってネタだと思って見てたらどうやらマジっぽいあの子の姿を見ていて、黒いものに本人の心だけは呑み込まれなければいいなあと思ってる。国を救うジャンヌ・ダルクか、はたまた傾国の美女かという扱いになってる気が。
一国の経済が18歳の女の子によって左右されるって、それ、持ち直したとしても国としてどうなのかと。ビットやアニシナの10代の頃と違って、彼女自身は至って普通の女の子だと思うんだよ。だからつらい。でも彼女の演技を見るのは好きだ。何かを背負ってる人を見るのがやっぱり好きだ。背負っているものを克服してほしいなあと本当に思う。背負っている人を見るのは好きだけど、背負っている人が重みに耐えきれず潰れるのは見たくない。彼女の3-3を私は本当に美しいと思うし、今季脳内リピートが一番多いのが『死の舞踏』だし。そんで、美姫ちゃん曲変更で交響曲3番?……ってあのオルガンのやつだ!!!ってわかった瞬間にテンションあがって、私サン=サーンス好きなんじゃね?と初めて気付いた。

美姫ちゃんが復活したらルルと重なるんだろうなあという自分の心はだいたいわかるんですけど、そんでまあ美姫ちゃんはなんか抜けた感じがするから、すっきり大人になった感じがするから、もうあとはどの舞台であの『バタフライラヴァーズ』に出会えるのかな、っていうだけなんですけど、あの高2高3の安藤美姫を見ていた気分は今、キム・ヨナに感じたりする。でも、あのくらいの年代でトップはってる子ってああなる方が自然な気もするから浅田真央無重力感が逆に不思議だ。彼女はもうSPはニコルの夢を体現してるし、FSはタラソワの少女性をそのまんま宿して滑っちゃってすごいですね、あれ浅田真央の感じてる世界じゃなくて振付師の感じてる世界そのまま。なんかそんなことできるのがすごい。しかもドビュッシーヲタ(ここにいます)が唖然とするほどドビュッシーの楽譜再現してるようなSPの振付に対して、FSはあんな強い単調なフレーズ繰り返してばっかりだとよっぽど工夫しなきゃ飽きるはずの曲調に本当によっぽど工夫してタラソワさんの内面の少女っぷりを通訳しちゃってる。なんだろあれ。浅田真央がいないんだもん。大輔は曲に同化するんだけど真央ちゃんは振付師に同化する。曲に同化するって要はストーリーを体現できることなんだけど(劇伴音楽は当然のこと、普通の音楽だってその音楽にストーリーが盛り込まれている、ストーリーを盛り込まないという意図がある音楽だってその意思がストーリーだ。だから音楽を表現できればストーリーは当然表現できるのです、もうね、ストーリーを考えて滑った方が、とかそういうの愚の骨頂というかね、音楽自体の力と彼の音楽を汲み取る力を侮っているとしか思えない)真央ちゃんは振付師の世界観・夢を体現して顕在化するんだね。タラソワさんの生々しいガーリーな部分をタラソワさんが生々しいまま出しちゃって真央ちゃんは全然そこにいないのね、真央ちゃんの内面ってどこにいるんだろうね。

そんで、私はなんか最近ちょっとジャッジの心理みたいなもんが似たような作業をやってるせいでちょっとわかってきて、絶対あれは失敗する方が圧倒的に多い。限られた時間内に出さなきゃいけないものを処理するので精一杯。あとから振り返って頭抱えること絶対沢山ある。一つライン間違ったら全部もう狂わせなきゃ帳尻合わなくなる、というそういうのもう山ほどやってると、ジャッジに文句つける気もなくなってくるんです。まあちょっとやらかしてしまったと自分で思ってる時にレフェリー呼び出しとかジャッジミーティング突き上げとかくることを想像するだけですげえ憂鬱になる。

で、気付いたのは、フィギュアスケートにまつわる情報量が現在の自分にとっては多過ぎになってきて、さばききれなくて表面だけなでて通りすがらせてやるしか今ちょっと耐えられないぽいだけで、別に何かがあってフィギュアスケートが嫌いになったりとか熱くなれないとかじゃなくて、私自身の心身によい筋肉がつけば戻れるだけの話のようで、まあよい筋肉つけるのも大変なのですけど、ちょっとずつでもやっていけば、純粋に好きで見てられるように戻れるぽいです。結論としてはリハビリ&治療頑張りますというか私なりには頑張ってるんで私なりにこれからも回復させたり無理して後戻りだったり(いやこれはもうやりたくない)しながらもゆるゆるといつか戻れる希望だけはもっていこうって。いろんなことができなくて一番いらついてるのは私自身なんだと、自分でそれを忘れてしまっていた。忘れちゃいけないですよこれ、誰も聞いてくれなくたって、言い訳だとかもう使えないとか言われたり思われたりしたって、自分があきらめてなきゃ、いつかきっとやりたい通りにやりたいことを書いたり読んだり笑ったり生活したりができるんですよ。

私もあきらめないからみんなあきらめないでいこう、って言いたい。ダークサイドに落ちないで!と言いたい。