はじまりのはじまり

日曜日、ETV特集加藤周一が語ってるのを途中まで見てた。1968年特集だったから。
ETV特集
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2008/1214.html
途中までしか見られなかったので語れないと思っていたのだけど(でも『プラハの春』は多分理解した)、NHKオンデマンドで見れるぽいので見たら何か書くかもしれんです。NHKオンデマンドなんて誰が使うんだよと思ってたらサービス開始月にさっそく使う気まんまんでやんの。
NHKオンデマンド
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2008003513SC000/index.html
だって昨今の民放の安っぽさたるや。めっきり地下活動しかしなくなったうちのテレビですが、地上で頑張ってるよいコンテンツにはちょっとでもお金落とさないといけない気がしてたまらない。
日本の地上波で人が物に変わる瞬間をあんなにあっけなく流すことってなかなかないと思うよ。
ベトナム戦争の記録映像でアメリカ兵がベトナム人のこめかみに銃口つきつける→パーン→ベトナム人血噴いて倒れる→動かなくなっても噴水やアメリカあたりの庭のスプリンクラーみたいに血だけは継続運動中)
1968年。最近1968年にこだわるのは1945年と1995年のミッシングリンクであるような気がして、1945年は祖父母の世代によってよく語られるし、1995年はこれから私達が語っていかなければならない年だ。でも、体系的にとらえるには1968年を理解していることが大前提である。
20世紀をとらえる上で重要な年はざっくりと1925年、1945年、1968年、1995年だと思っているのだが、なんか足りないところあるかなあ。
1995年4月以前の東京を私は知らない。地下鉄サリン事件の数日後に上京したからそれ以前を知らない。それが私達の世代を象徴する一つのことだろうと思うけど、めんどくさいから社会学的なうんぬんはそっちの方の同じ境遇を味わった友人知人に任せる。センター試験の翌日に阪神大震災、大学進学上京前後に地下鉄サリン事件。実家から出て東京で一人暮らしという境遇自体が非日常体験なので気付いてなかったが、非常に特異な経験を私達はしているのだと思う。
ちなみに1995年を語るには個人的にはよしもとよしともが重要だと思ってます。

鈴木明子中野友加里太田由希奈安藤美姫あたりの世代って1945年8月15日を思春期に迎えた人達のような激動の世代だと思った。旧採点と新採点ってそれくらい違うんだろう、きっと。四者四様、激動のフィギュアスケート人生送っているし。そして『戦争を知らない子供達』みたいな扱いをされるのがその下の世代。あのあっけらかんとしたコード進行、『戦争を知らない子供達』の子供だけど、あのあっけらかんとした音楽がよく似合う人々だなあと思う。1968年の挫折を彼らはなかったことにしてるんだな。祖父母の世代が決死の覚悟で語るように彼らは語らないことだけに必死になっている。

全日本まであと一週間なんだなあと、というか12月ってもうこんなにきてるんだ!?とさっき気がついた。全然心の準備ができてませんがクリスマスにフィギュアスケートに引かれて善光寺参りしてこようかと思います。

全然関係ないんだけど、なんとなく。
いつもお世話になっている友達夫婦が雑誌出しました。というかこれからvol.2が出るらしいです。
私はとくに手伝いはしていません。ただたまに遊んでもらってるだけです。
季刊 TRASH-UP!! vol.2(DVD付) (雑誌)
http://www.amazon.co.jp/dp/B001NENQXK/

全く関係ないついでですが、現在OSをアップデートすべきかどうか悩み中です。(現在MacOS10.3.9)