スピーチライターは文学青年(もしくは演劇青年)

ETV特集に金落とす気まんまんだったのに、PCからはマカー八分喰らいしょんぼりしながら木曜日の朝にテレビのボタンちびちび押してたら売ってたからよし帰ってきたらこれ買って見てやるぞ、と思って夕方にやりなおしたらコンテンツが消えてる。PC立ち上げて確認したらもう店じまいしとった。NHKオンデマンドって一週間まるまるコンテンツおきっぱなしで売ってくれるわけじゃないんですね。横にあるランキングで10位に入ってるコンテンツの店じまい早過ぎじゃないですか?この潔さは再放送期待していいんですか?とブチブチ思いながら『ザ・ホワイトハウス』見ることにしたら今回のタイトルが『出口なし』だって。サルトルかよ、と突っ込む暇もなくマジでサルトル元ネタだった。本人達にとって不条理な状況でサルトルだのベケットだの閉じ込められて言い合ってたシーン自体より、『出口なし』が英語の原題だと『NO EXIT』になるのか、と驚いた。直訳なんだけど、ここまで肌触りが違ってしまうと、絶対『NO EXIT』の文字だけタイトルバックで見せられてもこれサルトルだって気付かなかったなあと。アメリカのテレビ局の看板ドラマなんだから予算あるだろうになんでこんな貧乏劇団がセットが作れないためにやってるようなことを?と思ってたんですけど、1話1話で予算下りるんじゃなくてシーズン一括で下りるんだろうから、切り詰められるところは切り詰めてるのか、と気付いた。いや、『出口なし』読んでないどころかサルトルもほとんど読んでないし読んだのも高校生の時で「読んだ」という記憶しかなくて何を読んだのか覚えていない挙げ句『出口なし』はゲンズブールの曲名に引用されていたことでなんとか覚えてたばかりか永らくサルトルボーヴォワールのパートナーくらいにしか思ってなかった私がえらそうに「サルトルかよ」なんて言える資格はもちろんないんだけど。

でもなんだかとてもそのようなシーンを『ザ・ホワイトハウス』でみかけるとは思わず、そのシーンが広報部(元含む)スタッフ男子二人でやっていたこともあって、その二人のうちの一人がそのガランとした部屋に転がっていたであろう角材を暇を持て余すあまり手のひらにのっけてゆらゆらバランスとりながらなんか出典ありそうな台詞を吐いて、もう片方がそれはベケットか、いやサルトルか、みたいなやりとりになってて、木をもてあそびながらベケットとかいってるんだから『ゴドーを待ちながら』から引用して、いやそれはサルトルの『出口なし』だろう、みたいなことなんでしょうけど、あまりにもさらっと流し過ぎてて、全編こういうネタでいちいちその専門の人間が反応してるんだろうなあ、だって私が全然わからない大統領(ノーベル経済学賞受賞者という設定)の経済学うんちくに経済畑の人反応してたもの。このドラマ翻訳するのどういったチームでやってるのかわからないんですけど、翻訳する人も大変だろうなあ、でも面白いだろうなあと。*1まだ放映権がNHKにあったシーズン2の、とあるエピソードで『リア王の娘』という邦題をつけた人のセンス(原題は大統領の二女のファーストネームだけでした)はずばぬけて秀逸だと思ったんだけど、今回は原題も邦題も同じだから、国境国籍に関わらずそういった教養とセンスを持つ人々にくらいついていくことが楽しいんだろうなあ、私は。

あと、他の国に関してはちょっとわからないんだけど、フランスに関しては日→仏でダイレクトにみてんだなーって感じた。日→英(語学的に、本質的には米)→仏じゃないんだ、と。日本で無自覚に生活していたら日→英(ry→その他の国になってそうだから、やっぱり私フランス好きなんだと思った。実は英語マスターしたら次はフランス語にもリベンジしたかったりする。英語でフランス語勉強した方がわかりやすいような気もする。年代がある程度上の気になる作家はだいたいサルトルの息子といって構わない感じなので、やっぱりきちんとサルトルいつかは読みたいなあって。ボーヴォワールの姪の娘みたいな視点から、幼いなりに憧れていた遠い親戚のおばさんの恋人を伺うような感じで思う。

*1:そもそもなんで翻訳がこの回ものすごく気になったかというと、最初の方のシーンで『日本の防衛大臣』という言葉が飛び交ってたんだけど、このドラマ米での本放送時点ではまだ防衛庁だったんじゃないの?という疑問があり、これ『防衛大臣』とするか『防衛庁長官』とするか判断するのどういう基準だったんだろうと思って、で、『防衛大臣』からの電話に「夜桜がきれいですよ」って言ってたんだけど、アメリカ人にとってのイーグルが日本人にとっての桜、つまりその文化の心を象徴するものだとこの前英会話教室で教えてもらったので、外交はそうやって入るのかと改めてこの脚本すごいなーって思ったんで