相変わらず悪運強い

・MOI見るといろいろ差し障りあるから代表発表みて、四大陸代表発表はないの?と思って会場出る瞬間にオーロラビジョンに四大陸とユニバ代表出て、ああゆかりちゃんはユニバなのかというか大上くん!とそっちの方で嬉しい気持ちになりシャトルバスに突っ走り新幹線最終乗ったらその次の日の始発からJR東が大変なことになっとった。心底あそこで帰ってよかったと思った。私は全日本で淀さんと大上くんを見ると、「ああ全日本きたなあ」と毎年思います。でも何か足りないと思ったら曾根さんの「中京ガンバ!」と鼻をかむ音でした。それに気付いたのは隣の席の方が曾根さんがいないと全日本という気分がちょっと高まらないとおっしゃってたからで、その方は宮本さんとか曾根さんを見ると全日本だと思うという、まあなんだろう、そういうのってやっぱり足を運ばなきゃわからないし感じられないし醍醐味っていっていいのかな。淀さんすごく好きなんだけど(多分これポイキオが好きとかそういう感情と一緒)、関西学院大学の所属で長光チーム所属の子は関大リンクが使えるんだろうか?どういう練習環境なんだろうか?と常に気になっている。そんで歌子先生の姿が見えない中、長光チームの皆さん選手もコーチも頑張ってらしたけども、本田武史先生は解説やってコーチやって解説やってコーチやってで正月迎えるための餅代は3日で稼いだなと。

・舞ちゃんも亜紀ちゃんも大人の女性になって素敵なスケーターに変貌していて嬉しくて。武史先生すごいなと。さすが女扱いうまいなと。ヒギンズ教授かと。でも女の子がレディになっていくのって見てるとほんとドキドキする。

・急いでシャトルバスかけこんだら中途半端に時間余ったのでおやきを買おうと思ったらもう駅のそういう店あいてなくて、駅前で一軒だけやってた土産物屋さんにかけこんだ。肉が食べられない人間にとっておやきは相当ありがたい名産ですし、普通に好きです。そばは田舎そばが好きじゃないと気付きました。というかそもそもうどん派。でも善光寺の近くのおそばやさんは美味しかった、こっちは善光寺そばっていうの?しばらくフィギュアスケートの大会はきしめん・うどん・そばのループで遠征になるんでしょうか(東京起点での感覚)。麺類好きだからいいけど。

・席種にはこだわらないというか、上の方でリンク全体見渡したいというくらいの希望はあるけど、会場に入れさえすればだいたい楽しめるのですが、だいたい一人観戦なので隣の人との相性だけはすごくナーバスになりますが、今回は3日間全日近くの席の方に恵まれ、大変楽しい観戦でした。バナー張ってる方とか花束持ってる方とかのこだわりなんかもちょっと伺えて、それなりに選手を自分のエゴだけじゃなくて純粋に応援している方々のその想いはその応援している選手のスタイルにやっぱりちょっと似ていると思った。選手とファンが似るっていうより多分自分と通じるところがある人をみんな好きになるんだろう。

・ただちょっとだけ悲しかったのは、女子SPの日に既にバナーが張ってある上に重ねてバナーを取り付けてる人がいて、同じ選手のファン同士でなんか重ね着みたいなことやってるのかなあと思ったら、そのバナーは女子が終わったら取り外されて、下から出てきたのは違う選手というか男子選手のバナーで、そういうことをしているのをその応援された選手が知ったら悲しむだろう。選手が嫌がることはしてはいけないだろう、と腹が立つというより情けなくて悲しくなった。そしてそのバナーはTV中継などでよく見るバナーだった。他のバナーを持ち運んでいる人達の純粋な想いに触れていた直後だったので、なんだか非常に嫌だった。他の人の応援を邪魔してまで場所とらんでも、充分に張る場所はあったのになぜ重ねたのかがわからない。

・全日本でコンパル3組も見られたことが嬉しい。アイスダンスとペアの層が厚くなればいいなー、でもNHK杯と確か課題が一緒だったような気がするので、もうちょっと違う課題も見たかったです、フィンステップとはいかないまでも。コンパル好き談義とか隣の人と始めてちょっとまああれはさすがにオタクと言われてもしょうがない気もした。

・高橋・トラン組、FS『マダムバタフライ』って二人ともパンフに書いてたけど聞こえてきた曲はどう聞いても『バタフライラバーズ』でした。SPは中国ペアがデュベデビに憧れてます、という雰囲気でしたが、アジア人が『バタフライラバーズ』やると中国ペアにしかみえんかった。で、そのバタフライっぷりが板についていたので将来期待できるなあって思った。

・男子FSの第一グループの時にロビーでごはんもそもそ食べてましたら、目の前で柴田くんと小田嶋くんがアップしてまして、心の中で「道産子がんば!」と呟きました。北海道でフィギュアスケートをやる男の子ってほんと貴重だと思うから!北海道なのにフィギュアスケート習えた子がうらやましくてしょうがない時期は過ぎた(北海道内でもウインタースポーツに関しては土地柄で地味に温度差があります)(文字通り温度差や地形や標高によってさかんな競技が違う)。

・新採点になってからのローリープロって、今季もしかしたら初めてその本領を目の当たりにしたのではないか。というか、難しいことをきちんと難しいままこなそうと頑張るジュニア女子もしくは米ジュニアあがり女子達やパトリック・チャンを見ていますから、今季の織田FSだって元は絶対あんな形じゃなかっただろう、と気付くわけです。ローリーが手直ししてニコライが省略しての繰り返しなんじゃねえの?と。ラファエルのところにいた時の真央ちゃんのローリープロと今の真央ちゃんでも印象違いますから、もちろん年度が違えばやることも変わりますけど、ラファエルやニコライがジャンプの精度にこだわって勝つためのプロにするために省いていったこともわかってきます。村主さんが信夫先生のところにいた時にもローリーの振付けがほとんど残っていないって発言がどっかであったと思うんですが、結局それはローリーの振付けが難し過ぎてこなせなかったということなんだな、と、やっと気付いた。

・別にそれは悪いことではない。だってこれはスポーツだから。一番重要なのは勝つ事だから。競技プロで一番大事なことをつかみ取るためにどういう選択をするかは選手とそのコーチ達がやることで振付師の出番ではない、競技プロは選手のものだ。ただ、振付師のものであるプログラムも見てみたいなと強く思ってしまった。究極的に映画は監督のもので演劇は演出家のものでバレエは振付家のものであるように、振付師のものであるフィギュアスケートがみたいなあと、そして太田由希奈がプロ活動を始めた今、なんだかそういう新しい胎動を感じざるを得ない。

ベジャール追悼本に蜷川幸雄ベジャールとドンの関係にしぼって寄稿していて、演出家にとって俳優を失うことの恐怖、それは自分の肉体がなくなってしまう、表現が消えてしまう、という非常にリアルな恐怖、そして蜷川幸雄にとってのジョルジュ・ドンは藤原竜也なんだろうなと行間から滲み出ていて、この人どんだけ藤原竜也好きなんだよ、と。好き過ぎて失うことを想像すらしたくない、その孤独に耐えたベジャールに対しての思い入れなんかも感じて、演出家や振付家、そして指揮者なんかも自分一人では何にもできないつらい職業だな、と改めて思ったことが強く印象にのこっていて。でもそういう業を背負った振付家とバレエダンサー、演出家と役者、みたいな関係性をもった総合芸術をフィギュアスケートの振付師とフィギュアスケーターで見てみたいと思い、それは全く競技とは違う世界で、そっちを追求したものと競技と両輪で盛んになればいいとすごく思ったし、そっちってまあプロと呼ばれるものだと思いますが、ひたすら高みを追求するそういった芸術スケートはまだ見ぬものですが、それだけじゃその業界自体は当然成り立たないからプリンスアイスワールドの大衆演劇性が私はとても大事だと思って、私は理解できないのですけど(そして理解できないことに少しコンプレックスをもっているのですけど)、あの層を逃したらその分野は衰退する一方なので、絶対になきゃいけない。プリンスアイスワールドは日本のショーでは一番大事だと思っています。日本人が作り上げた不思議な欧米風レビューってありますでしょう、その最たるものが宝塚なんじゃないかと考えてますが、宝塚歌劇団を育てるように育てなきゃいけないショーだと思う。ただ、私はそれが理解できないからほとんど手助けもできないのですが。

・テレビで見た美姫ちゃんのMOIの『ボレロ』、ジャンプ抜いてたと気付かなかった。あのプログラム、ジャンプ抜いた方がスムーズに流れるんだと驚いた。それがフィギュアスケートの可能性だと思った。もちろん安藤美姫の類い稀なる肉体と個性があって成り立ってるんだけど、表現者にとって弱さは強さにもなるのだなあと実感。トップアスリートに対して「不安定であれ」と雀鬼が助言していたのを夏季五輪の時に見て「?」だったのが「!」と。本当のトップにいくためには不安定じゃなきゃ見えないものがあってそれをつかむための強さが更に必要なんですね、と。不安定な足場に耐えられる強さを持たなければならないのか、と。本当に強い人は自分が弱いことをわかっていて、弱さを弱いまま受け入れて耐え続ける人なんだと。ボレロダンサーに必要なものは生身を見せること、これは大前提だと解釈しています。そしてその生身が強靭であるためにその強さに振り回され繊細にならざるを得ない部分をもつ人、それが人々が語り継ぐボレロダンサーなんだと思います。ボレロはギエムかドンかで友人と少し討論して面倒になったので、まあベジャールのものでいっか、と棚上げしたんだけど、ボレロダンサーの定義が自分の中でちょっとクリアになってきた。

・見る人間としてのボレロ厨ですが、やる人間として一番大事にしてきた曲はドビュッシーの『月の光』です。なんとなくピアノを買ってもらって習ってたちびっこが初めて「この曲を弾けるようになりたい!」と思ったのがドビュッシーの『月の光』です。大切な曲です。大好きな曲です。ピアノの才能があるわけではない人間が10年越しくらいでやっと弾けるようになった時、ただ憧れて大事にしまって時々眺めているだけだった楽譜としっかり向き合うようになった時、この曲の呼吸を再現する難しさにすっかり参ってしまって、一応は通して弾けたんだけど、そしてドビュッシーの間合いを感じて自分が音を出して再現でき、あの和音の中に自分の体をおける喜びに満ちあふれたんだけど、この曲を理想通りに弾ける技術があったら、それだけで生きてる意味はあったと思えるよな、と自分の才能のなさに憤慨したりもしていました。久しくそんな感覚は忘れていたはずなのに、そんなエピソードがあったことすら忘れていたのに、浅田真央のSPは一瞬にして私の記憶を甦らせてしまった。ああ、これだ。こんな風に弾きたかったんだ。こんな風に弾けたら本当にあの世界に入っていけて「美しさ」と同化できるんだろう、といつも思っていたそれが目の前で繰り広げられていた。真っ白なリンクが雲の上のように見え、その雲の上を照らす月の光の動きが浅田真央だった。ドビュッシーのあの音形は海を照らす月の光だと勝手に思い込んで25年くらい生きてきたのだけど、その解釈がゆらぐくらい浅田真央は月の光そのものだった。あんな風に体が動けばよかったのに、というかすかな羨望と、常人には決してできない壮絶さを頭の片隅で感じつつ、でも、あの圧倒的に清らかな美しさの前ではこちらも自我とか正直ほとんどなくなってる。ただ懐かしくてとても大事なものを思い出して涙が出てくるだけだった。NHK杯ではそんなことなかったのに。

・全日本は開場と同時にできるだけ中に駆込みたい、なぜならそこに最終グループ公式練習があるからだ。男子FSのはけっこう見れたんだけど、女子FSはやっぱりちょっと出遅れてしまって大ラスの真央ちゃん仮面舞踏会の音楽が流れるくらいの時間だったんです。その曲かけにあわせてあんまり滑ってなかったから音楽に意識がいってしまうのですが、この仮面舞踏会の編曲のループにびびった。もはやテクノの域。去年の大輔ロメジュリが意外と細かい音が(まあチャイコだから)いっぱいあって、それを実は丹念にあの人拾ってたと気付いた時にもびっくりしたんだけど、この仮面舞踏会が実はここまでもループしてたのか、ということに気付かせなかった浅田真央にもびっくりした。音楽だけ注意して聞くといつものタラソワ仕事と大差なかったという。

モロゾフカメラ、タラソワカメラはありましたけど、地味に久美子先生がピンでリンクサイドに立っている時のリアクションも面白かったです。ジャンプ失敗したらしーちゃんバウアーみたいにのけぞる。生徒さんがステップ踏んでる時は久美子先生ピョンピョン跳んでなんか言ってる。モロゾフカメラはついでに久美子カメラにもなって欲しかった。誰の時だろう、南雲さんかなあ。今ちょっとパンフ見当たらなくて確認できないんですけど、信夫がいないと久美子ほんとフリーダム。

・今年の信夫先生ベストシーン:あの清水のように爽やかなロミオ(フリル付き)で2位になった小塚くんの表彰台を押さえようと誰よりも先にデジカメを持ってリンクサイドで表彰台に一番近い場所に陣取った。あの信夫先生がいそいそと(信夫比で)早歩きでやってきた。ほんとにかわいいんだろうなあと。その様子はどう見ても孫の晴れ姿を見守る祖父だった。

・ちなみに去年のベストシーンは食堂でカレーを頼んで普通に並んで待ってる信夫先生(うどんすすってたら隣のテーブルが信夫久美子嗣彦で落ち着かないにもほどがあった)、一昨年のベストシーンは関係者席で寝てて久美子先生に「お父さんこんなところで何寝てるの!」と言われ連れ出される信夫先生です。

以上年のまとめの全日本レポートでした。これ書かないともやもやしておちおち寝れないし年も越せないので書く余裕ができてよかったです。それでは皆様よいお年を。