シンプルに

昨年は同業かつ同病者の訃報を折りにつけ耳にし「季節の変わり目だからね」と何度も繰り返した気がします。季節の変わり目季節の変わり目と繰り返してるうちに『季節の変わり目』ってどれだけあるのかと考えたら二十四節気というくらいなので月に二度は季節が変わるのだなあ、とこういうことで自覚したりしました。彼らの報を耳にする側で居続けたけども、ちょっとしたタイミングとかコンディションがずれていたらこちらが発信側になるかもしれないという意識は常に持っていますし、持っていない鬱病持ちはいないはずだ。持っているからこそ回避しようと最善の努力を尽くす。「死を思う」ことに慣れていない人ほどあっけなく流されてこの世での体を喪ったなあと思い返す。そして、この世での体を持ち続けていられることの幸運と、この不憫な体の調整をしっかりして彼らの分もやりとげよう、という決意を何度も小さく積み重ねていたような気もします。

だから、余計な負担は背負わないように去年は頑張りました。今年は肩の力を抜く事に全力を注ぎたいと思う。去年考え抜いて見つけた方向はとりあえず今は間違っていないように思うから、少しの価値あることを大事にすること、いらないものは整理することをクリアに押し進めていきたいです。

競技自体の事情ではなく全くの個人的な理由から、去年は本当に自分がフィギュアスケートが好きなのかどうなのかもかなり惑っていたのだけど、暮れの全日本にいったらやっぱり楽しくて「フィギュアスケートが好きだ」という気持ちを取り戻したので、これはものすごく大事にしたい、大事にしたいから無理しない範囲で追いかけたい。だから今季はもうほぼ店じまいで、自分のことに専念します。余裕があったら見ます。自分のことを結構ほったらかしで観戦しにいったからそのツケを返さないと本気で体が動かない。

バレエやクラシック音楽専門チャンネルを2ヵ月契約して見てて思ったのは、そういうものを見る自分はやはりどこか構えている。その後フィギュアスケートを見ると「戻ってきた」と思う。逆に他のスポーツ(もしくは将棋などのゲーム)を見てからフィギュアスケートを見ると落ち着く。自分に勝てばいいだけの競技であるのが、自分が勝つこと=相手を負かすことと直結してない所が、やけに落ち着く。対戦スポーツは結局相手の弱点をつくことが必要だから、そして私はそういうことが苦手ではなく、しかも負けず嫌いで、ハマってしまうととことんやってしまって、我にかえった時に非常に後悔してそういう自分が心底嫌になるので、他人と戦わずひたすら自分と戦っていればいい競技にほっとする。他人、もしくは自分が好きな選手・チームの対戦相手の失敗や不幸を願わずにすむことは大変に幸せであり精神衛生にもよい。フィギュアスケートに浸かりきってたらサッカーがあまり見れなくなっちゃった。もう今はサッカーに対する情熱はオランダの陣形の美しさを堪能したいというくらいしかないな。

勝負する相手は自分でしかない、このことを忘れずに生きてゆきたいと思っております。あと重い本が読めるくらいに腱鞘炎がよくなればいい。そのための努力はきちんと積もう。本がほとんど読めなくてPC作業も仕事の時間もたせるだけで精一杯で、何をやってたかというと、体力に余裕があれば映画を見ていました。手首を使わなくていい作業って意外と少ないです。

あ、あと、「安いものには近付かない」これも今年のテーマです。安物の周りには安物しか集まらないってやっぱり思った。それなりの治療を受けるにはそれなりの投資が必要だとわかってから。自分の頭と心と体に技術をインプットするための投資だけはけちらないようにしたい。要は英会話とヨガとピラティスを自分のペースで続けますってことです。負担にしたくないから、他のことは控えてもこれは続けようって、優先順位は常に上の方に置いておく。