「好き」の土台の上に

四大陸選手権、全部終わってからダラダラ書こうかなと思ってたけど、これだけは書いておきたい。
フィギュアスケートが好きなら鈴木明子を好きにならずにはいられないと。
今季の鈴木明子の挑戦は2A+3Tがよくあげられるけども、まずSPに『ラ・カンパネラ』を使っていることが素晴らしい挑戦だと思ってシーズンずっと見てました。
今年、ほんっとに滑りにくい曲に挑戦してるなあと浅田真央鈴木明子のSPは見ていて思っていて、浅田真央の『月の光』はとにかく間を取るのが難しい(これ『月光』って書かれちゃうのけっこう目にするんだけど、ちょっとそれドビュッシーに対する冒涜だよね。ドビュッシーヲタだからいうけど)んだけど、『ラ・カンパネラ』は音を取るのが非常に難しいはずなんだよ。あの曲トレモロなんだかトリルなんだかわからんやたら細かい音形が途切れないでしょう。でも、あっこちゃん、一音一音きっちり取ってんの。これ、ピアニストなんかでも一音ミスタッチするとボロッボロに崩れる曲じゃない。スケートでも同じだと思うんだ。いわゆるヴィルトゥオーソの自作自演曲の種類の中ではショパンとかラフマニノフのある種の曲みたいに表現でごまかせるところある曲じゃないんだもの、しっかりした技術があってその土台をかっちりつくりあげて使いこなせて、初めて表現が追いつく難しい曲だもの。曲芸やってるのに曲芸に感じさせないで優雅で高貴に聴かせるピアニストが弾いてるのみるともう愕然とするけど、それと同じ感覚。
あっこちゃんの何がすごいって、この曲ジャンプでちょっとでもミスがあったりすると(転倒までいかないステッピングアウトとかオーバーターンとかそういうのでも)曲に追いつくの難しいはずなのに、それを感じさせないできっちり音楽に戻っていくのね、あれ何気なくやってるけど他の人に『ラ・カンパネラ』でそれをやれっていってもなかなかやれないと思う。すました顔で戻ってきてステップの時に難なく合わせて音一つ一つ丹念に拾って表現して見せ場にしてるのとかもっと評価されていい。
FSの『黒い瞳』とかEXの『リベルタンゴ』なんかリズムに癖がある分、実は表現しやすいし、たとえ失敗したとしても音楽に戻るためのリカバー点もけっこういっぱいあるんです。それに、ああいう手合いの表現は好きな人は熱狂的に好きだけど、どうしても苦手という人も多分いる気がする。でも、あの一聴ではアクのない(でも演奏や表現に関しては一番やりにくい)曲想にきちんと自分の技術も表現の仕方も合わせて、その上で品格のある魅せ方、好き嫌い分かれる表現じゃなく、万人が見て憧れる女性像をきちんと描き出せている。ここまで表現の幅の広い人はなかなかいないと思う。これ、宮本賢二先生&鈴木あっこちゃんの隠れたいい仕事。

それで私は今季の鈴木明子は『一人の女性の多様な表情』という(この一人の女性というのは鈴木明子本人ではなくてあくまでもそういう架空のキャラクターを指しています)3本立てのストーリーだと捉えてみていたので、EXが見られないのはカナダのお客さんが可哀想だなあと思いました。

個人的に感じていた3本の内容のあらすじ
ラ・カンパネラ:その女性が普段、日常的に外に出している振る舞い方、表情(三人称語り)
黒い瞳:その女性の思い出、過去の姿(一人称語り)
リベルタンゴ:今現在の親しい人にしか見せない顔(二人称語り)

で、鈴木明子が何よりも一番すごいのは、こういう風にうだうだ書いているのが本当はどうでもよくなるくらい、「スケートが好きだ」というただ純粋にそれだけの気持ちがどのプログラムでもスケーティングや一つ一つの所作から溢れ出てくること。その気持ちの土台があって、技術の土台があって、それであの多彩な表現につながっていること。無邪気な心で大人の微妙な感情の襞を表現できること。そんな相反していそうなものを兼ね備えているスケーターを目の当たりにする幸運に今、私達は恵まれているのでした。