戦い方の見極め

サイバラ先生が「最下位には最下位なりの戦い方がある」と前にインタビューでこたえてたのを思い出して、最下位じゃない人間が最下位の戦い方をしてもいけなかったなあ、と、過去の行動を振り返ってみた。私は最下位じゃないのに最下位だと思い込んでいたからどうもちぐはぐな思春期を送っていたような気がする。
いわゆる『みにくいアヒルの子』の育ち方をした元いじめられっ子というのは多いと思うんですが、みにくいアヒルの子は自分が白鳥と気付いてすぐ幸せになれたかというとそうとは思わない。白鳥として育った白鳥の中にいる時の違和感、かといってアヒルの群れにはもう戻れないよるべなさからくる孤独、周囲から求められる白鳥としての振る舞いを全く知らない戸惑いや屈辱や情けなさなどと戦って「白鳥とは何か」を学習しなければならない。
白鳥になりたくてなったわけではなく、ただそう生まれついてしまっただけでその価値を知らないまま育ち、白鳥になりたかったのになれなかったアヒル達からの嫉妬の目線に慣れていない元みにくいアヒルの子の戦い方はあまり汎用性がないので巷にあふれかえっているわけではない。

大多数のアヒル達は元みにくいアヒルの子の現白鳥に対してはあっさり手のひらを変えて媚びへつらうか、もしくは頑なに白鳥と認めない頑固さを持つかのどちらかだとは思うのですが、どっちもどっちの反応で、その態度は反面教師として学習していくしかない。アヒルの中には良心的な少数派もいて、その少数派はみにくいアヒルの子が実は白鳥だったと見抜けなかったことに対する自責の念からよそよそしくなってしまうこともあり、それはそれで現白鳥には切ないことだったりもする。

そんな元みにくいアヒルの子で現白鳥の一番の強みは「気付いたこと」だと思うのです。気付かなきゃ『みにくいアヒルの子』としてそのまま惨めに一生を終えて誰にも気付かれなかったはずなんです。でも気付いてしまった。それは命拾いであると同時にアイデンティティ・クライシスに面してしまう体験でもあります。それでもなぜ気付いたかというと、「聡明だから」「芯が強いから」という理由もやっぱり含まれるんだと思うんです。白鳥がどういうものなのか理解していないと自分が白鳥だったという気付きは生まれない。気付かないまま死んだみにくいアヒルの子もいっぱいいるだろう。また、気付きつつあってもその事実と向き合うことの恐ろしさから目をそらしてやっぱり命を落とした仲間もいるだろう。そうならなかった理由というのは「運が良かった」以外にもやっぱりあるはずなんです。「聡明であること・芯が強いこと」は生まれもった運の良さの一つに含まれるかもしれないけども、まあその気付いて受け入れる才能を活かすことが元みにくいアヒルの子の戦い方なんじゃないかな、と思います。「自分の聡明さと強さを過信せず、でもやっぱり信じること」これが元みにくいアヒルの子の戦いのキーワード。

ヒルであっても白鳥であっても、そのこと自体で不幸になるわけでも幸せになるわけでもない、でもアヒルの幸せと白鳥の幸せは違う。どっちが上とか下とかではなく、ただ単に種族が違うので幸せも違う。だから自分がアヒルなのか白鳥なのかを見極めること、そして自分の種族にフィットした生き方を選ぶことが戦い方として重要なんだと思いました。