2年シンドローム

中2病という概念をあまりよくわかっていない人に「『北の国から』と『男はつらいよ』を見てないので非国民扱いされます」とかちょっと得意げに言われるとリアクションに困る。それ得意げに言っていいのか、と戸惑う。それに加えてディズニーとジブリ(つうか駿)と現在のハリウッド(もちろんUSJ含む)と三谷幸喜村上春樹を受け付けない私はどうなるんだと。非国民どころの騒ぎじゃねえだろと。無理やりディズニーランドに連れられていってはその度に具合が悪くなったこと数回(ちびこい頃の親戚旅行・修学旅行なので不可避)、そんなガキだったからガキの頃から日陰者なのはわかってるよ、でも日陰者の処遇もしってるからそんな自分の苦手なものを得意げに宣言できないよ、いや言う時は言うけどそれなりに覚悟して言ってるよ。大多数が安パイだと思って無難にデートに誘う口実のものがことごとく苦手だということにもう私は罪悪感を感じなくてもよいのだろうか。あのちょっと上の世代、アラフォー?っていうの?あの人ら見てると中2病を臆面もなくさらけ出して病識なかったりする人も多かったりするからどうしていいのか固まることけっこうある。アラサー?っていうの?ほしのあきと同じ学年だけど私、自分の中2病的なところとか必死に隠そうとするのは世代のせいなのかなあ。青田典子ほしのあきを比べると如実にしんどい世代だってのしかかってきた今突然。青田典子のああいうのは笑いに転化できるけど、ほしのあきの頑張りは痛々しくて笑えない、とかでもなく、すげー腹が据わってて頑張ってんな同級生、って見上げてエール送りたくなるもん。
でもアラフォーとかアラサーっていってる人らはスイーツ(笑)層だと思うので基本的に関わりはなく中2病だ高2病だ大2病だと騒がしいあたりにちょっくら手を伸ばして大2病の象徴(大2時代実際に定期購読してた)とも言える雑誌をちょっとだけ立ち読みしたんですよ。

なんや騒動の根本の書籍を今手に入れないでいうと的外れかもしれないですが、著者インタビューから推測するとあの本の要は『(私←著者が好きな)日本語(文学)が亡びるとき』ってことですよね。漱石好きらしい、言い換えるとどうやってもどこかアカデミックになってしまう人が書いた個人的意見なだけであって、真面目な本なんだろうけど、だからこそけっこうどうでもいい感じでどうでもいい論争がいろいろ起きて私の立場から覗いてるとめんどくさいなあとか思う。どうやってもテンプレからこぼれおちるような落伍者になってしまう安吾好きとしては『日本語文化私観』とタイトルを変えてしまいませんか、そうすれば誤解もされにくくなりますよ、と提案したくなりましたが、それはもう立ち位置が違うので別にやることでもないし、むしろああいう論争バチコイなのかもしれないし。アカデミックな人ってどうでもいいことで論争しないと生きてけなさそうだし。それが楽しいのかもしれないし。今思うと大学進学(そして進学先の選択基準)は勉強するためじゃなくこれからの人生『落伍者』として生きてもOKという免罪符をもらうためだけだったような私が口をはさめることじゃない。
そんでここは安吾好きのアティチュードとしては『亡ぶなら亡びてしまえ日本語よ』でいいと思ったので深入りしないことにした。文庫になったら第一章の描写の抜粋とかにはそそられたので読むと思う。そして安吾小林秀雄を見据えたような目でブログエントリの一つでも書いて終わりにすればいいだけのことだと思った。