価値を間違えないこと

フレンドパークを見てた時に何にびっくりしたかって間に入っていたPerfumeのCMだ。私のPerfumeに関する知識はほとんど全て友人夫婦とその妻の方のサイトであるbaritonesax(http://www.outdex.net/baritonesax/)からのものであり、そこで彼女はPerfumeがいかに物語を語れないグループであるのかということを言葉を尽くして語り、語るべき物語がそこにあるにも関わらず物語性の恐ろしいまでの希薄さはのっちの存在、彼女の感覚としては「思考」が原罪であり、のっちはその「思考」をもたないですむ無原罪のマリアのような存在と扱っていると私は理解しているのですが、そののっちの無原罪である存在感により凡俗な物語性を拒否する意思があるわけでもないのに回収されつくせなくて結果としてすり抜けてしまっている、そういうスリリングな部分がPerfumeの魅力なんだと思っていました。本人達の思惑はおいといて(だってその思惑は「思惑」じゃなくなってしまっているから)アイドルであるのかそうではないのかギリギリカテゴライズできないそういった部分を楽しんでるんだと思っていました。

が、なんだあの『ピノ』のCMは。彼女達は特別な存在であったはずだ。商品を売るために愛想をよくするような子たちではない、それが魅力なのに商品を売るためのCMに出ていて、その扱われ方がまるでそこらへんの普通のアイドルでしかなく、「普通のアイドル」ではない彼女たちが「普通のアイドル」扱いされると全く何を狙っているのかわからなくこれ以上ない中途半端なものになり、誰にとっても不幸な結果しかもうテレビに映るCMには残っていなかった。彼女たちを愛して大事にしてきた人々が悲しむような仕事をしてしまった奴らに私は腹が立ったし、何より彼女たちの周りの人々が彼女たちの一番の魅力を大事にしていないようで悲しくなった。彼女たちの特異さは物語を語れないという本質があるにも関わらず、語られることも拒否しないという所であり、拒否しないということを「語ることをOK」だと理解してしまう鈍感な人々が彼女たちに群がってしまっているんだろうな、という現状を推察し、彼女たちの本質に惹かれてそこを侵さないように繊細な配慮をしてきた人々のことを慮って心が痛んだし、彼女たちの価値を貶めてしまった全てのもの(この「全てのもの」は彼女たちだけではなく金の臭いがするもの全てにたかってきて食いつぶす「全てのもの」だ)に対して、全力で軽蔑の念を抱いた。

私がまともに聴いたPerfumeの曲は『ポリリズム』くらいで、あの時の公共広告機構のCMのクオリティに興奮したし、あの高めな作りとポジションに負けないPerfumeにも感心して、ちょうどあのCMが流れ始めたあたりのDOIの帰り道に友人宅に寄って「あれはすごいね」といったら夜通しPerfume概論(誰が誰だか一致しないから、顔と立ち位置をみて、『かしゆかあ〜ちゃん、のっち』と繰り返し覚えるところから始まった)を叩き込まれて楽しかったことを思い出し、ああいう人々の彼女たちへの愛は今はもう踏みにじられて残っていないのかな、ってすんごくつらかった。なんらかのヲタ活動をやってる人間にとって全く他人事ではない。『ポリリズム』が流れるCMであんなに輝いていたあのPerfumeを『ピノ』であんなに安くしちゃったら、お金は入ってきて懐は潤うかもしれないけど、もうあの高さには戻れない、これからはただただ土壌が貧しくなるばかりだ。本人たちが拒否しないからこそ周りがガードしなければならない部分がどうやって浸食されていったのかは私は知らないのだけど、私が触れたPerfumeというのが公共広告機構のCMからいきなりピノのCMでとにかく彼女たちが大変な状況にいることはわかった。そして彼女たちがこれからどうなっていくのかも。その物語からすり抜ける強靭さがあるか、今そこが試されているところなんだろう。とてもタフな戦いにどうして彼女たちは晒されてしまったのだろう。

本当にこのことは他人事ではなくてPerfume概論のレクチャーを受けた時、私は私でフィギュアスケート現状リポートをしており、その状況のすりあわせで「あぁ一緒だねえ」と何度もうなづきあったことを覚えており、Perfumeの価値を貶めた「全てのもの」はまた同時進行でフィギュアスケートにも手を出してきており、「どうしてフィギュアスケートブームなのにリンクはつぶれていくのでしょう?僕は純粋に不思議です」というような声明を出したフィギュアスケーターに言われるまでもなく、その潤った金がどこに返ってきてるのか全くわからず、そんだけ潤ってるんならスケートリンクの一つや二つ首都圏に作ったっていいだろうに全くその気配は見えずリンク状況は悪くなる一方で、今のブームを吸い尽くしたら捨てる気まんまんの人に限って大規模に金をかき集めて、その金はそのブームを支える努力をしている人に全く見合った形では返ってきていない。perfumeから回収した金もフィギュアスケートから回収した金も全く何に使われてるんだかわからない、ただわかるのはその当事者や当事者を愛する人々へのリスペクトはなくただそういった人々の純粋な気持ちとはかけはなれた所で動いているということ。

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なんでスケート人気だというのにリンクは潰れていくばかりで新しく建てられることがないのだろう?私も純粋に不思議です。スケートを好きな人がスケートに身を捧げただけ金銭的に得るものがあるならば、あと2つや3つはスケートリンクができたっておかしくはないのに老朽化で潰れる、不況で潰れる、そういう話しかきかない。
日本に二つほどスケートリンクをもった大学はありますが(倉敷を買い取った法人いれると三つ?)、それだってもともとおかしな話。リンクをもった大学にいかないとスケートの練習をまともにできないっておかしな話。大学に入る時点でそれなりのスケーターになっていないとまともにスケートができないってことだもの。

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「思考」を回避しているという点で私の友人の語るのっちと私の思う浅田真央はとてもよく似ている。彼女たちは原罪を背負わない極めてアクロバティックでスリリングな存在だ。そういったマレビトが鷹揚であることにつけこんで原罪を背負った人間達が彼女達に感情移入しても、まず立ち位置が違うのだからその感情移入は独り相撲でしかないし、全くどちらのためにもならない。原罪を背負っている人間が感情移入できる物語を託したいなら、それはまさにそういった物語性で成り上がったモー娘。を今でもひたむきに追い求めているA.K.I.のスタンスでやれ、と。『ガキさんへの手紙'08(ハロプロ禅)』を聴いてから物語を語れと。全てのヲタは『ガキさんへの手紙'08(ハロプロ禅)』を聴くべきだ。笑えて泣けるこの名トラックはゼロ年代を生きる全てのヲタのアンセムですよ。現代のファントムたちの痛切で甘美な叫びですよ。これをね、「キモい」の一言で片付けるやつがいるならね、私はその人の人生がなんて貧しいんだろうと哀れむほかはないね。そして、A.K.I.がハロプロの人と仕事をできている状況を心から祝福している。
A.K.I.のブログ、今一番上のエントリが小夜子さんへの手紙’09(山口小夜子さんへの手紙)でまた泣けたつう。
http://blog.livedoor.jp/a_k_i_productions/
語られるべき対象については思いっきり語ればいい、でも、語ってはならない対象というのもある。その見極めだけはきちんとしたいなと思うしやってほしいなと思う。