神の鼻歌

・気付いたら1日1本は映画みてる感じでした。
・去年のGPSをまだ全部見切っていません。
・一発変換が「美姫って」でした。
・最近は1日1本映画みてるけど、映画を見るのが好きとか趣味とかいうのはおこがましいなあとずっと思ってる。
・映画を見る量とか質とかそういう話じゃなくて、映画は友達、という意識。近すぎず遠すぎず傷つけ合いすぎない程度の距離をとってずっと付き合える友達。でもただの友達。いい友達。
・高橋さんとこの大ちゃんの『道』の衣装はてっきり本田さんとこの武史先生のアランフェスみたいな感じだと思っていたのでちょっと不意をつかれた。なんとなくあのワインレッドのイメージがあった。
・『道』のプログラムのアウトラインが見えたわけですが、とりあえず数日は包容力にぼーっとしてた。
・あれ、傷ついた人を上から見てる(上から目線とかじゃなくてさ)感じだった。守護天使とかさ、それこそローザが上から関わった人達を見守ってるとかさ、でも誰かじゃない感じだなやっぱり、なんかそういう見守る魂がよりそってやさしくケアしてる感じ。
・傷ついた世界を包み込んでるという感じか。だってあの映画の世界観は風景も人も傷ついてる。
オペラ座の時の「POINT OF NO RETURN」パートをずっと見ていたかったのだが、それを見られた感じだ。そんでぼーっとしてた。何にも考えずにぼーって。滑り大きいな。
・『道』ってモノローグとかナレーションとかない映画だったような気がするので(私はでもこの映画に関しては全く記憶に自信がない、改めて見なおすまで10年近くものすごく勘違いをしていたから)その省略されたモノローグとかナレーションを補完しているプログラムというか通奏低音とか対旋律って感じがした。よりそって、でもそこの世界観を変えるような手は下さない(下せない)みたいなさ。
・音楽の切れ目がきちんと場面転換だとわかってすごい。あれ下手な人間がやったらただのブツ切りにしか聴こえない。ちょっとそこに高橋大輔の恐ろしさを感じた。
・『フェリーニ 大いなる嘘つき』ってドキュメンタリー映画みてたら、マルチェロ・マストロヤンニが『8 1/2』で映画監督役を演じる時、徹底してフェリーニの癖を真似してものにした、って逸話がでてきて、歩き方とか鼻歌とかたぶんほんとそっくりにやっててスタッフ笑いこらえるくらいだった空気があるんだけど、フェリーニの鼻歌みたいな印象がした『道』お披露目でした。
・でも滑り込めば滑り込むだけ違う印象になっていくのはわかりきっています。だから今の気分をなんとなく書き留めておきたくなってぼんやりしながらこれ書いてる。
・それにしてもフィギュアスケートはスケートの滑るという行為の特異性からなる美しさをもっと意識すべきだ。ただ滑ってるだけでみとれるあの動きを特化して魅せるようにすべきだ芸術的に考えて。スケートの滑るということの速さへの挑戦はスピードスケートやショートトラックだろうし、強さというのはアイスホッケーで出してるんだから、美しさ、もう本質的な美しさをもっと私は味わいたいのだ。もうそれはコンパルソリーとかとも違って、ただ純粋にあのなめらかな移動の美しさを味わいたい、あんなの他にない。
・最近の映画の話。

ラスト、コーション [DVD]

ラスト、コーション [DVD]

・『ラスト、コーション』のラストは「LUST」なのな、「LAST」じゃなくて。肉欲とか強欲とかそういう意味だって。日本語訳放棄というより、あえてミスリーディングさせるつもりのそのまんまタイトルだねこれ。
・あんなにエロいエロい濡れ場濡れ場としか言われてなかった映画なのにちっとも濡れませんでした。
アン・リーの映画のセックスシーンというのは「痛い」と「激しい」をごっちゃにしてないか、いつも。
ヴァージン・スーサイズ [DVD]

ヴァージン・スーサイズ [DVD]

・その前日、『ヴァージン・スーサイズ』をBSでやってくれたので久しぶりに彼女たちに出会ったのですけど、13歳で死ねなかった女の子は14歳でビッチになって、14歳でビッチになれなかった女の子はただ脇役になるしかなくて、この映画のキルスティン・ダンストのセックスシーンの痛々しさというのは本当に悲しくなる痛々しさなんだけど、『ラスト・コーション』のセックスシーンの痛そう、つうのはただもう物理的に痛いだけで心にちっとも響きませんね。
・つうかさあ、トニー・レオンのセックスシーンならもっと他に語られるべき映画はいっぱいあるじゃないか、なんでこればっかり。
・『ラスト、コーション』の見所は最後のトニー・レオンの顔。
・ちょwおまw気付かなかったってマジか!つう。
・濡れるならここだな。
・あ、私、トニー・レオンのしょんぼり顔とか裏切られ顔が大好きなんだなって気付いた。
トニー・レオントニー・レオンと意識したのは大学生の時、19歳かなあ、『恋する惑星』を池袋の文藝座(改装前)で見てた時、このひとどっかでみたなんだっけなんだっけなんだっけなあ、と考え抜いた末に中学か高校の時にNHK教育で見た『悲情城市』の聾唖の人か!とつながった時。
・全く同じ顔なのに全く違う雰囲気だったので気付くまで時間が大変にかかった。その振り幅の広さにやられた。
グロリア [DVD]

グロリア [DVD]

・卒論テーマがカサヴェテスになる同級生の女の子とたまたま映画館で出くわして『恋する惑星』並んで一緒に見て、そんで見終わったあと一緒に行った池袋の中華料理屋で金城武パートが『グロリア』なの、と興奮気味に語っている横でトニー・レオントニー・レオンとうわごとのようにつぶやいていた。
恋する惑星 [DVD]

恋する惑星 [DVD]

悲情城市 [DVD]

悲情城市 [DVD]

シクロ [DVD]

シクロ [DVD]

・オールナイトでトニー・レオン特集やるって当日の昼間、バイト中に知って21時ちょっと前くらいにバイト終わってすぐ22時くらいの開演に一人でかけつけたくらいに好きでした。『悲情城市』で始まって『シクロ』で終わるって時点で相当キテる構成だったが、その間に香港ノワールと香港B級仕事が挟まってて劇場から出たの朝8時過ぎだった。3時間くらい尺ある大作で始まって終わらせるっていうのがどういうことかを身を以て知った。あれ以来映画のオールナイトいってない気がする。
・あー、私はトニー・レオンが好きだったように高橋大輔を好きなんだな、と気付いた。
・ものすごく腑に落ちた。
・私が一番好きなトニー・レオンは『シクロ』の詩人と呼ばれるヤクザ役です。
・この人、(制作環境が異国語のために)ほぼ強制的になんらかの事情で無口になった人にさせられてほとんど台詞がない役の時の目力はんぱないよね。
フィギュアスケートってそもそも台詞ないもんね。
・トラン・アン・ユンが好きで一番好きなのが『シクロ』なんですけど、ほとんどの人は『青いパパイヤの香り』のことしか話してくれないので、お前らは勝手にほっこりしてろ、と笑顔の下で毒づくことにすら飽きてきました。
・今、一番好きな映画をあげろと言われたら本当に『シクロ』か『ヴァージン・スーサイズ』で悩むと思う。
・「ガーリー」の仮面の下に隠されている醒めた視線が好きだ。このゾクゾクする感じが好きだということをなかなか理解されないので『ヴァージン・スーサイズ』が好きだっていうのが非常に言いにくい。30歳超えてから本当にわかってきたこのすごさ。
・反対にヴィム・ヴェンダースは20代半ばまでに見ておくものだなあと思った。最近何作か見たけどあの味付けの甘さは若者向けです。若者の時は一緒に感傷に浸ったのになあ。
フェデリコ・フェリーニという宿題をまだ半分程度しかこなしてないのに新たにピーター・グリーナウェイという宿題が追加された。
フェリーニは『道』と『甘い生活』と『フェリーニのアマルコルド』と『ジンジャーとフレッド』と『8 1/2』をクリアした、あと『オーケストラ・リハーサル』は途中までクリアしたというか途中からしか見られなかったから録画したのあとでみる。残った課題は『女の都』と『フェリーニのローマ』と『そして船は行く』、余裕があったら『魂のジュリエッタ』くらいかな。基本的に名が通ってるものをチェックする姿勢です。
ピーター・グリーナウェイは大学の時の友達が『コックと泥棒、その妻と愛人』が一番好きな映画だというので『ピーター・グリーナウェイ枕草子』が公開された時一緒に渋谷シネマライズまでいってみました。私いっつも映画見に行くってシネマライズいくって感じだな、『シクロ』も『エコール』も『ロスト・イン・トランスレーション』もここだ。
ロスト・イン・トランスレーション [DVD]

ロスト・イン・トランスレーション [DVD]

・『ロスト・イン・トランスレーション』は渋谷シネマライズで見たことが非常に特権的な優越感に浸れる映画だったので、あそこでみて良かったです。全世界中のあの映画を見た人に自慢できる、映画みて劇場出たらあの光景だ。・で、『コックと泥棒、その妻と愛人』を見たんだけど、私、シーフードベジタリアンなんだよね。その理由を端的に示してくれてるよねこの映画。
・ヨージヤマモトが潰れるご時世に見てるとゴルチエは大丈夫かとハラハラしたりもしましたが。
・Kickち☆ナるYO!シさんの世界観っていうものを思い出しました。あの人はあれをポーズでやってるのか素でやってるのかわからず理解に苦しむ。案外素で「かっこいい」と思ってそうでそこに分け入っていく気になれない。
・結局私は「肉を食べる」という行為を好かんのです。その肉が人肉であろうと牛肉であろうと豚肉であろうと鶏肉であろうと羊肉であろうとかわらずダメ。
・あの映画の衝撃は、一生懸命世話したニワトリを絞めて食卓に出された、っていうのと同じ程度の衝撃だと思う。少なくとも私にとってはそうだ。それくらいだ。
・食べるなら人肉まで食べろ、食べないなら全く自分からは食べるな、という思想のもと食べないことを選んだ。
・魚は痛覚がないし脳味噌もほとんどないし感情も動物みたいなものじゃないからイケる。
・それが摂食障害ギリギリの場所で悩んで出した私の結論。肉は食べない、でも他のものは食べる。
・それ以外食べるものがない状況だったら肉食べるよ、でもそうじゃない限り食べない。でも神経質になりすぎて全く食べないというわけでもない。ベジタリアンです、つうのいうのがめんどっちいときとかあるし。しかも魚は食べるし。
・ちょっと体重が増えたがあんまり気にしないで食べるようにしている。気にするとあっという間に食べられなくなる可能性があるから、それの方がずっとこわい。
・落ちつくところに落ちつくまでの過渡期ととらえてます。ヨガ的に考えて。
ピーター・グリーナウェイ、あと『英国式庭園殺人事件』だけでいいわ…。先月ことごとくタイミング外してCS放送つかまえられなかったのが悔やまれる。
・ああ!きょうの映画タイム始まってた!

本日の映画タイム終わったので追記。

小さな中国のお針子 [DVD]

小さな中国のお針子 [DVD]

・『中国の植物学者の娘たち』を何の予備知識もなくタイトルだけで視聴予約設定してたんだけど、これはよいエロスだった。アジア人のエロスってこういうもんだろう!最後ホロっときたわーと今検索したら、フランス・カナダ合作でベトナムで撮影だって。
http://www.astaire.co.jp/shokubutsu/index.php
カナダつってもケベック州だと思うからフランス資本みたいなもんだね、つうかグエン・ニュー・クイン出てた。『シクロ』の女主人(トニー・レオンと絡みあり)じゃないか。『小さな中国のお針子』と風景がかぶると思ったら監督で脚本の人が一緒だった。でも、エロは微妙に違うんだ、『小さな中国のお針子』のエロスはどうも違うんだよな、何が違うんだろうな。空気がまとわりつくような匂い立つようなエロスじゃなかったような気がするんだよな、『小さな中国のお針子』。絡み合いつつも対等な視線で相手のこと見てなかったからかな、あれムカつくの、田舎娘を教育してやろうという都会からやってきた青年たちの上から目線に。そこにひっかからなかったら平気なのかな。

うだうだ考えながら公式サイト見てたら簡潔に書かれてた。

むせかえるほどの緑につつまれた楽園に咲きみだれる秘めやかな陶酔

この二人の女優からきわ立つしっとりとした東洋的な美しさは、詩的な情景の中で際立って光る。

中国での撮影許可を得られなかったスタッフは隣国ベトナムでロケ地を敢行。アジア特有の景観と湖に浮かぶ幻想的な植物園によってエキゾチックな映像詩に仕上がった

きめ細かな心理描写と映像美は、同じアジアの映像作家であるトラン・アン・ユン監督の『青いパパイヤの香り』『夏至』やキム・ギドク監督の『サマリア』『弓』と同質の肌触りを残す。

キム・ギドク作品見てないんで、宿題にします。こういう感覚がわかる人とじゃないと情を交わしたくないとほんと思う。

エコール [DVD]

エコール [DVD]

そういえば『エコール』もそういうところある映画でしたね。

中国人に日本人は(韓国人も)音楽という点では絶対に敵わないなあと、中国語の響きの多彩さを聞くと思う。言語としての音数の多さがもう全然違うから、日本語とか韓国語ってすごくシンプルだから音もシンプルになっちゃう。普段の耳がそうなると出す音もシンプルになっちゃう。個人では乗り越えられてもオーケストラになったら大きな壁になるだろうなと、だから近い将来、中国からいいオケが育つ気がしてならない。ベネズエラエル・システマみたいな教育やったらすごいことになると思う。