雑誌がメインストリームだったころ

たまたま手に取った『ブルータス』が「泣ける映画」特集とかで、これよく読んだら、最近のなんでもかんでも泣きの展開にもっていきやがる泣かせる邦画批判特集だったんだけど、映画人アンケート一位の泣ける映画が『道』だった。

BRUTUS (ブルータス) 2009年 12/1号 [雑誌]

BRUTUS (ブルータス) 2009年 12/1号 [雑誌]

細かい文字をざっと追っかけて各々の回答結果に目を通したけど、けっこう皆さん真摯に答えてて、自分なりのベタを選べる大人の皆さんなんだなあと思いました。あくまでも古き良き時代のマガジンハウスカルチャー文脈に乗っ取った「サブカル」ラインとしてのベタだけど。
って、これ、表紙が嵐のニノだったんですけど、amazonだとこういう扱いになるんですか…窮屈だな…

http://magazineworld.jp/brutus/675/
公式サイトでも同様の扱いだ。何これこわい。「ニノ、クリント・イーストウッドを語る」とかけっこう面白かったのに、表紙にこんな加工されてたまんねえな。久々に雑誌っていいものだな、と思える商業雑誌だったから、web上ではこういう扱いにされるのがすごくやるせない。そして魂入ってる商業雑誌って最近とんと見かけなくなったということに気付き、そのことに悲しみも覚えた。


泣ける映画って個人的なものだから、他人の「泣ける映画」にケチを付ける気は毛頭ないんだけど、『道』の泣きどころが実はわからない。すっごい人でなし感が漂うから言いにくかったけど、ラストシーンとか笑ってしまう。いや、なんだろ、たぶん、あそこで監督、これを見る人を泣かせようとしてない、と思う。ちょっと突き放した視線を感じて、その視線に同化して笑ってしまう。
私が何かを見る時はどこかしらに感情移入してないとやっぱりきちんと見られなくて、『道』ってあんまり私が感情移入できるキャラクターが物語の中にいなくて(かろうじてジェルソミーナに「遣える相手は違っても同じね」みたいに話しかける修道女くらい、でもそんな無自覚に上から目線の自分があからさまに嫌だったりもする)、でも物語に配置されているキャラクターに感情移入できなくてもカメラワークだったり監督の意図だったりに感情移入できればOKなので、『道』の場合はそっち側に自分を置いてみてしまうのだが、他のフェリーニ作品を見た上でこの映画見ると、絶対教科書的な解釈でラストシーンが撮られているとは思えなくて(それはだって「泣かせにかかる行為」だし、それをよしとする人ではないと思う)、あのろくでなしの道化が泣いてやがるぜ、って笑い飛ばすのがむしろ正しい態度のような気がしてならなかったりもする。

タイミング的にパフォーマーじゃなく監督・演出・脚本側の視点に立ってるということに意識的になった上でスケカナの演技を見ることになってしまったのだが、それで気付いたのは、この振付けって『道』の映画に出てきた動きそのまま拝借じゃなくて、登場人物達が映画に焼き付けられた時間以外でどう生きていたかっていうのを見せてるんだなあと。私は深くコミットできなかった映画だけど、このコリオグラファーはその映画の中にすっぽり入り込んで登場人物がどう動くかわかってる、そしてパフォーマーはそのコリオグラファーの狙いを身体で理解してる。パフォーマーってのはぐちゃぐちゃ考えるより先に身体が動く人種だから、考えたら負けだから、こんなことできるパフォーマーをつかまえたコリオグラファーがうらやましいなあと思った。このパフォーマーがこのコリオグラファーに出会ってよかったなあとも思った。
以前のコリオグラファーは、映画を題材にするとしたらその映画に出てきた動作をそのままフィギュアスケートの振付けにも取り入れる人で、それはそれでわかりやすくていいのだけど、それって結局すぐ飽きちゃうんだ。忘れちゃうんだ。飽きちゃうとか忘れちゃうとか多分個人的嗜好だし、それが好きな人もいるのは知ってるけど、私わかんないんだよ。雑誌でいうなら『ロードショー』感覚ってわかんないんだよ私。しゃらくさい人間だからさ、ハリウッド大作アカデミー賞ノミネート!みたいなのより、うっかりパルムドールかっさらっちゃいました!みたいな方が明らかに理解しやすいからさ、なんかもう映画見て「面白かった!」って思ってタイトル検索するとたいていどっかのブログに「難解」とか書かれててさ、全然難解じゃなかったよ!それよりかけた金額が宣伝文句になるようなハリウッド大作の楽しみ方を理解する方がよっぽど難しいよ!っていっつも思うんですけど、それはまあ置いといて、ハリウッド大作志向のところからヨーロッパ文芸映画だったりとかヌーヴェルヴァーグみたいなところに振付け発注変えたのはやっぱりもう個人的にすごく見てて楽しくてよかったなあって思った。

『コックと泥棒、その妻と愛人』見たあとに久々に長野五輪アイスダンスを見て、グリシュク&プラトフのFDの曲、『メモリアル』とか紹介されてたけど、あれ『コックと泥棒、その妻と愛人』のサントラだと気付く。ずーっっとマイケル・ナイマンが『メモリアル』って映画につけた音楽だと思ってたよ、『コックと泥棒、その妻と愛人』なら最初からそう言ってよ!見る側の心構え変わるじゃんか!グリシュクとヘレン・ミレンか、ああ……って思ったじゃんか……
Grishuk & Platov - Nagano Memorial 98

http://www.youtube.com/watch?v=1U5uD2f5JRs