レイト・ワークと未完の大器と

『ヘンリー六世』見てきました。すげかったです。
といっても、まだネタバレしちゃいけない感じなんであんま書けないですけど、高岡蒼甫がこんなにすごい役者だと知らなかった。メディアでは「宮崎あおいの旦那」としてしか名前ほとんど出ませんけど、宮崎あおいが役者ならこの人に惚れるの当然だと思ったし、何してても許されるだろうとも思った、役者というフィールドで戦いながら見ていたのだったら。大竹しのぶとか上川隆也がすごいのはもう皆知ってるじゃない、高岡蒼甫はそこで負けてないの、むしろどんどん舞台上で力を増していってるのがわかる。もしかしたらこれ初舞台なのかな?ものすごい才能掘り当てたな、と、通路挟んで隣にいる蜷川御大にも慄然としました。いやでも多分、ものすごい賭けをしてるんだと思う、御大も役者も。その過程を見ていてぶわあってきた。
たまたま今日カメラ入ってたんで、映像作品としても見られると思うので、機会があれば是非。高岡蒼甫ってテレビサイズの役者じゃなかった。客席に藤原竜也いたんだけど、それもいい作用を及ぼしていたのかもしれない。

そもそも、何かを見に行く=フィギュアスケートを見に行く、という生活をここしばらく送っていたため、あきらかに観劇スタイルとしては浮いていたわけです。ブランケットとかいらないよ会場あったかいよそもそもバンクーバーの空港で買ったクワッチTシャツとか五輪オフィシャルショップで買ったジャージとか私ラフすぎだろう、もう周り違う全然違う、私よりラフな人とかいない、と思ったらいた!なんかスエットの上下っぽいのにマスクとか私よりラフな人だ、って、え、藤原竜也じゃねえか!という経緯で発見したので、多分あれ稽古着かそういう形で抜け出してきた系の格好だったと思うんですよ。そんな戦ってる最中の役者が客席のわかりやすいとこに座ってたら役者だったら燃えるよなあ、と想像してぞくぞくしてきた今。

あ、あと、舞台装置がかっこよかったです。花の落ちるスピードと重さと音はあれしかなかった。たまたま生理中で一番排血量が多い日に見てたので、休憩に入るとすぐトイレに駆込むのだが、白い便器と自分の血でその舞台装置の雰囲気を再現できてて、そこでもなんかすげえ!と感動した。こういう生々しさは嫌いじゃない、というか好きだ。大好きだ。

長丁場だったけど飽きる事なく見られて、興奮したまま劇場出たら、冴え渡る夜の空気に満月が映えてて、見上げる私からは月のものが滴り落ちてて、でもそんなことはおかまいなしに世の中は動くし、劇場を後にする人の群れから聞こえる会話はだいたい役名が覚えられなくてあやふやに説明しながら、でもあやふやなままだいたい会話が成立していってる、そのことにも感じることがあり、クラっとそのシーンの美しさに涙が出そうになりました。

電車の中ではクリエイターのレイト・ワークということについて考え始めて、演出家はまだ完成していない役者を見出して磨くことに力を入れているのかなあ、でも小説家はどうなんだろう、などとグルグルしてたら結局帰りに一冊の本買ってた。

水死 (100周年書き下ろし)

水死 (100周年書き下ろし)

まだ大江が生きている間に読まなきゃいけない!同時代に生きているうちに新作が出るなら読まなきゃいけない!急にあせってしまったのでした。