チケット3枚争奪戦

まずいっていい?いっていい?って私のブログなんだからいいに決まってるよね。
私のソチの星、西野友毬ちゃんが色んなところが大きくなって復活して世界ジュニア代表に選出されてとっっっっっっても嬉しい。
石川翔子ちゃんがセクシー衣装をクールに着こなす荒川スタイルを習得して復活してユニバ代表になったのも嬉しい。

地上波の試合だけしか見てなくてMOIもまだ録画チェックしてないんだけど、多種多様なガッツポーズが見れて面白かったな。
安藤美姫が演技終了後あんなに興奮したの見たことない気がする。私の30余年の人生で一番かっこいいガッツポーズを見たような気がする。6年ぶりの全日本タイトルおめでとうございます、つか、カルメンの時にすっかり全日本女王返り咲きしてたような気になっていたので、あれ、そんなにタイトルから遠ざかってたっけ?と驚いた。だって全日本って演技中とか6分練習中に怪我したり吠えたりいつもおおむね安藤劇場な印象なんだもん。五輪シーズンに限って印象薄くなるのもある意味安藤劇場なんだもん。

男子は小塚崇彦SPの出だしで身体がしなってるの見るの大好きなんで今季一番しなってて萌えた。
ついでに今季ここまで見てきて各ジャンルマイベストプログラムをまとめておくと
男子:小塚崇彦SP「ソウルマンメドレー」
女子:カロリーナ・コストナーFS「牧神の午後への前奏曲」(バレエ・リュスのポーズの取り入れ方が巧みだと思います!とてもよいローリー仕事)
ペア:川口&スミルノフFS「月の光」(こういうスタンダードなピアノ演奏でノーカットの「月の光」が見たかった。ノーカットにするためにトービル&ディーン方式取り入れてる音楽へのリスペクトと衣装。こうやって再現するんだよあの音楽は!タイムバイオレーションとられないように頑張れ!)
アイスダンス:強いて言うならイリニフ&カツァラポフFD「ドン・キホーテ」。あとチョック&ズラインSDの「ミロール」→「パダンパダン」は私がピアフの曲で一番好きなのが「ミロール」なので評価。SD導入でブーブー言ってた割には始まってみると意外と楽しい。ゴールデンワルツの男性ピボットからイーグルが大好物だったからかもしれませんけど。

まとめる前は自分の好みがわからん、なんかバラバラじゃん、なんてぼんやり思ってたけど、書き出してみたらものすごく露骨だった。ドビュッシー2曲にピアフとイリニフ衣装と小塚3A直後のオザケン「ラブリー」感というだけだった。イリニフはアニシナ姐さんを彷彿とさせる迫力があるのでもっとスケーティングがうまくなればいいなあと思います。パートナーを踏んだり蹴ったり持ち上げたり国を飛び出しても驚かない。

浅田真央は今季序盤不調でよかったのかも、と実は思ってたりもした。誰が自分の味方かはっきりするだろうから、「真央ちゃん」に群がってきていた人々をああいう事態によって振るいにかけて選別できたのは後々生きてくる気がする。NHK杯であの状況を人前で見せる前が一番怖かっただろうなあと思う。見せたあとは開き直るしかないけど、その前は「真央ちゃん」がああなってるって皆知らない状態だから、そこにカミングアウトする勇気に何より感動して、珍しいものを見たというか、普通、人が暗闇の中でもがいている姿というのは見られないものですよね。とくに頭の中がぐっちゃぐっちゃになっていても、その頭の中が他人に見えることはないわけだ。NHK杯の時期、私の頭の中が相当ぐっちゃぐっちゃになっていたんだけど、その格闘をさ、具現化して大勢の大衆に囲まれて披露している人がいる、ということにとても励まされた。私も頑張ろうと思った。ジャンプ以外は成長していたのがこの努力の虫らしくて感動した。この人のように、できることは投げないで全てやろうと思った。NHK杯の時に書けばよかったことだろうけど、あの時そんな余裕がなかったから今書いておく。今季は捨てる覚悟もあったんだろうけど、なんだかんだいって帳尻合わせてきたのがさすが努力の天才だ。

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五輪以降の真央ちゃんは生気がなくてこわい、と言われたことがあるんだけど、私は逆に目に力が入った!覚醒した!と思っていたから、どういうことかと掘り下げて訊いてみると私も「こわい」と言った人も同じもの見てたんだよね。「人間」じゃなくなった感じというか彼岸にいっちゃってる感じというか。それで「こわい」と言った人の気持ちがよくわかって。なぜなら私も同じようにかつて高橋尚子シドニーで金メダルとった後のインタビューを見て「こわい」と思ったんです。それを「こわい」と思う自分が嫌で、この目をしっかり受け止められるようになりたいと思ったんです。「こわい」と言った子は20代半ばくらいで、私が高橋尚子を「こわい」と思ったのもそのくらいの年齢だったから、あれから10年経ってあの目をきっちり受け止めてワクワクできる人間になってることが嬉しかった。自分も「こわい」側にいけるチケットを掴み取れた気がした。

その子にだったかな、他の人だったかな、ちょっと思い出せないんだけど07東京ワールド前後に「今日本のフィギュアスケート界には3人天才がいて、それぞれ天才の方向が違って面白いよ」と語った時に、浅田真央は努力の天才、高橋大輔フィギュアスケートの天才、安藤美姫は何やってても天才って一生懸命説明してたことを思い出した。その後、安藤美姫自伝あたりで「ピアノを習っていた時楽譜読むのが嫌で全部耳コピして曲覚えてた、だから楽譜は読めません!(美姫母:でもピアノうまかったですよ)」というエピソードを知った時マジビビリした。安藤美姫の脳味噌ってなんか特殊な記憶能力あるよね絶対。門奈先生の前でちびっこの頃のプログラム全部再現してみせたとか、プログラム変更対応能力もこの記憶力の高さにかかってると思うんだけど、あの筋肉とこの記憶能力があれば何やっててもどうやってても目立ってしまって、結局この人は静かな生活は送れない運命なようにも思った。

空に向かって

空に向かって

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高橋小塚双方、一皮剥けたようで、二人とも災い転じて福に力業で持っていけてよかったなあ。ほんとよかったなあ。小塚くんはもうこれからもあの事故をずっと言われ続けることについて腹括ったよね。あの経験をもって、頂上を穫りに行く準備完了としたのは頼もしい。
あの事故見た時に、小塚崇彦は本人のレベルも周囲の求めるものも元々が高すぎて、何をしてもあまり褒められることがなくて、褒めて育てられてないから自己評価が低めだったり能力の割には自信がなかったりして、そのせいでたまに褒められたり評価されるようなことがあると慣れてないために周囲が思う以上に喜んで舞い上がって周りが見えなくなってしまう性質なのかな、そういう人が時間が経てば癒える身体の傷じゃなくてメンタルがやられたら面倒なことになるなあとちょっと思ってたんけど、そういう方向にいかなくて、逃げ場がなくなって、よい意味でふてぶてしくなったのがアスリートとして完成してきたように見えて喜ばしい。08四大陸の時に「小塚崇彦は『大ちゃんすごーい』とぼんやり見て祝福するんじゃなくて悔しがるべきですよ!彼はそこまでいけるポテンシャルあるんだから!」と力説していた私に伝えたい、「小塚崇彦高橋大輔に張り合うメンタルを身に付けましたよ」と。で、高橋大輔のFSでこれこれこれが見たかった!と感動したのはその08四大陸以来かと思ったら、あの時の感動はどうしようもないプログラムを本人の能力で圧倒してやった、という感動なので種類が違った。この感動は07東京ワールドのオペラ座以来かもしれない。ラフ2とオペラ座かけあわせたようなプログラムになってるねえ、ピアソラ。何度もリピート再生してて他のもの見てなくてHDD容量を消化できなくて困ってます。でも見たい。困る。私、あの衝突見た時に、まず膝と足首チェックして、これは大丈夫だ、思ったより影響ないんじゃないか、って思ってたけど、腰とか背中とか足の付け根だよねよく考えたら。スピンとか絶対痛いよね、寝違えた時の首の動かせなさって泣けてきて笑うもんね、寝違えって割と間抜けな理由だから首以外は平気なのにある角度を少しでも越えるといきなり痛くて涙目になってる自分に笑っちゃうんだけど、あれ、理由が間抜けじゃなったら笑えないよね。湿布貼っておとなしく時間が経つのを待つしか対処方法ないしね。寝違えでコンクールまさかの2位になってたのだめ清良エピソードみたいな人が実在していた!とか言ってる場合じゃないよね。
きよらサンエピソード参考↓

のだめカンタービレ(7) (KC KISS)

のだめカンタービレ(7) (KC KISS)

いや、でも、実際、なりふり構わない高橋大輔っていうのを見れて、いつだって外面の良いインタビュー受け答えしていた高橋大輔が本音をさらけ出しているのを見れて、そのことに感極まった。この人にすました顔はやっぱり似合わない。

この前読み返していた本から引用します。

 「こういう立ちまわりは本当は好きじゃないんだよ。」
 ある日最大の昂揚の後で彼は言った。頬を染めて。
 どうして?
 「あまりにも一本調子だから。体の構造上仕方ないんだけどね。」
 でも力強い。
 「それが嫌なんだ。力強くしかなれないのが嫌なんだ。意気ばかり見せつけるなんて素直じゃないんだ。」
 恥しそうに笑った彼。
 「君はいい。君の動きは多角的だ。変幻自在だ。どんなものでも包み込める。女の子はあらゆる適応を知っている。相手のために何の役でも演じることができる。僕たちはどんなに相手のことを思っても、相手の女の子を適応させることしかできない。自分自身はいつだって頑なだ。柔軟性がほしい。僕はもっと優しくありたかった。」
 肉体は問題じゃなくてーーその時私は本当に感動していたのだと思うーー
(中略)
 それにしても、情人の座に甘んじていた彼。鏡にスプレーを吹きかけ刈り込み前のナルシシズムを封じ込めた彼。日が落ちてからもたった一人で影踏みごっこをして戯れ自らを慰め抑制していた彼。私と同じ年で私よりずっと自由だったあの少年。

あの演技を見て、あの人はもう「青年」だったけど、それ以外は全くこれに当てはまるなあと思い出しました。
このくだりで「男」に絶望しきっていた18歳の私は救われていたのだ、と、今回読み直して気付いたのだけど、そういう人が例え演技であったとしても「実在」していることにやっぱり私は救われたのでした。男性と関わっていくことでつらいことはたくさんあるけれども、それでも諦めないでやっていこうと、つらくなったら何度でもこれを引用してあの演技を思い出して生きて行こうと思えるくらい、大事なものになりました。

何度でも紹介する私の人生の一冊。

葬儀の日 (河出文庫―BUNGEI Collection)

葬儀の日 (河出文庫―BUNGEI Collection)

男がそのままマッチョであることを恥と思えるこの少年のような男性が増えたらいいなと思うけど、それはまた別の話です。